月別アーカイブ: 2013年9月

OVERGROWTH

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最近なにかと話題になるポートランド。自然とプレヒッピーカルチャーが融合した街からはエースホテルやストンプタウンコーヒーなど発信される話題がつきない。そのポートランド発の雑誌、kinfolkは最近になって日本版も出たが独特のセンスが光る雑誌だ。その雑誌の写真をほとんど手がけていると言っても過言ではないのが写真家のパーカーフィッツジェラルド氏だが、今回彼とフラワーアーティストで恋人(?)のライリーさんがいくつかのイベントと展覧会のために来日した。イベントは伊勢丹で行われたポートランド展への参加でこちらのアート展は設営をお手伝いした。そんな事もありパーカーさんとすっかり友達になってしまったが、彼の写真もとても好きになり1点記念に買おうと思っている。今回は伊勢丹の他に東京のロケットギャラリー、大阪のトラックなどで展覧会をするのだが、ロケットギャラリーのオープニングにお邪魔した。OVERGROWTH(育ち過ぎ)というタイトルの展覧会だが、意外にもパーカーさんにとって写真展をするのは初めてとの事。今回、この展覧会になったOVERGROWTHとはモデルと花を不思議に組み合わせてクリエーティブな写真を撮影するというパーカーさんとフラワーアーティストのライリーさんとの共同プロジェクトだ。発想、センス、撮影技術、プリントの仕上がり、すべて素晴らしく、またどこかに素朴さが感じられる作品群となっている。ギャラリーオープニングにはパーカーさんライリーさんはもちろん、ストンプタウンコーヒーの日本担当の大介さんも来た。そして、沢山のパーカーさんファンが来たのだがキンフォークという雑誌で彼は既に日本にも写真のファンを持っている事に少し驚いた。メディアも結構来ていたようなので今後も雑誌などで紹介されるだろう。今回の来日以降、パーカーさんの写真の日本での販売を頼まれたので興味のある方は是非チェックしてください!そのうち販売用のページをオープンします。

税官史ルソーについて

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2013年9月14日から11月10日まで世田谷美術館でアンリ・ルソーと素朴派やアウトサイダー達の作品展が開催されている。面白い企画なので是非お勧めします。ルソーの絵は中学の美術の教科書なんかに絶対にある絵のひとつで、僕の時は砂漠で眠るジプシーになぜかライオンが接近している不思議な絵があったのを覚えている。その後、この絵の本物にニューヨーク近代美術館(MOMA)で出会うのだが写真で車いすの方が見入っているようにとても人気のある絵だ。もう一枚、MOMAにはジャングルの絵もある。ルソーで有名なのがこうしたジャングルとか異国の不思議な情景を表した絵で、眺めていると独特の世界に迷い込めるような魅力がある。パリの入市税関に20年以上務めていたルソーは「税官史ルソー」とも呼ばれそのファンは多い。ピカソもルソーの作品をコレクションしていた。幻想的というか夢の世界というか、彼の描く異国は実際には彼の頭の中以外どこにも存在しない。日々異国からパリに入って来るエキゾチックで不思議な品々を税官史として見て来た彼は、その「不思議なもの」に異国に行った人から聞いた話などを織り交ぜて想像上の異国に思いを馳せて絵にしたのだ。かなり適当に都合良く想像されて作り上げられたこのルソーの異国はそれ故にとても魅力的で彼独自の幻想的な世界を確立している。ルソーを語る時、その絵画の手法も重要だが、世田谷美術館での展示がいわゆる素朴派やアウトサイダー達と共に語られるようにルソーは素朴派というような位置付けの作家になっているのだろう。正式な絵画の教育を受けず、いわゆる独学で描いたような作家はヨーロッパでは画家としては正式に認められることはなかったのかもしれない。日本でもそうだが画家になるには画壇に所属して誰それの弟子になってというようなしきたりみたいのが強い世界なのだろう。ルソーは独学であり言ってしまえば日曜画家である。絵は趣味の域というようなスタンスの作家と同じといえる。しかし、彼自身はかなりの歳になってから趣味的に独学で絵を始めたにもかかわらず、自分は相当凄い画家だと豪語していたと聞いた事がある。そして時代が過ぎてみれば彼は正しかった。ルソーは美術館に蒐集される程の凄い画家だったのだ。彼の魅力的な絵は一度見たら忘れない何かを持っているしテクニックだって素朴とか独学とか言われても僕はたまらなく好きだ。ジャングルを写実的に描ける画家はきっと五万といるがルソーのジャングルは彼にしか描けない。好きなものを好きなように描く。それが一番自分にとってのうまい絵なのだ。学生だった頃に絵に点数をつけるのはおかしい気がしていた。教育の科目になっている時点で他と差の出る何らかの評価をしなければならないとはいえ、根本的にはおかしな話である。ルソーは自分は偉大な画家であると豪語して毎週日曜日にコツコツと想像のジャングルを楽しみながら描いていたに違いない。「どんな絵でも点数つけるならすべて百点満天!」きっとルソーだったらそう言うような気がする。

泉啓司「骨まで毛だらけ」

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白金にあるARATANIURANOギャラリーにて泉啓司の展覧会を見る。「骨まで毛だらけ」という面白いタイトルに負けないくらいに面白い木彫の作品群。相当な精度で削られた木彫は「これ全部木ですか?」と疑いたくなる程の出来映えだ。着色も施されているので結構リアルで思わず接近してジロジロと見入ってしまう。いったいこのユーモラスな彫刻はどこからアイデアが湧き出てこうなるのか。人物の鼻の穴からは絶対になんか吹き出ている。オクトプラズム?煙?なんにせよ、しばらく眺めていると思わずぷっと吹き出してしまうような作品。にらめっこに負けたような、そんな気分になる。それ以外にも何かが吹き出たり渦巻いたり、アニメちっくな動きのエフェクトが作品にダイナミックさとユーモアを混在させる。それにしてもここまでバカバカしい彫刻作品を素晴らしい木工、木彫の技術で表現されると見応えはある。ある意味これは「木の匠の仕事」みたいな凄みさえ感じた。こんな作品があるお部屋っていうのも想像しにくいけど、壁にこういう顔があったら仕事で疲れてかえって来てふと癒されるような気もする。「思いっきり真面目にふざけようよ!」みたいな意気込みが伝わるけど、それを実現するには基本的に確かな技術力の裏打ちがないと「すべる」可能性がある。相当な用意と勇気と自信がないと出来ない技だと思った。

髙石 晃「シャンポリオンのような人」

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白金の児玉画廊にて開催された高石晃の展覧会「シャンポリオンのような人」を見る。シャンポリオンのような人ということで、シャンポリオンとはどういう人なのか早速ウィキペディアで調べてみると。「ジャン=フランソワ・シャンポリオン(Jean-François Champollion、1790年12月23日 – 1832年3月4日)は、フランスの古代エジプト学の研究者。ロゼッタ・ストーンを解読し、ヒエログリフ(古代エジプト象形文字)を解明したことで知られ、「古代エジプト学の父」と言われている。」とある。なるほど、この人みたいな人の事?なのか。古代エジプト学の研究者で、あのロゼッタストーンを解明したとは!ロゼッタストーンは昔大英博物館で見た事あるけどもの凄い文字がいっぱいで、あれを解明したってかなり凄い人だ。話を高石晃の展覧会に戻すと、彼の絵を見ていると確かに謎めいた記号のような線が絵の中心に登場する。階段や床に展開する「何か」の中心には、まるで解明される事を必要としているかのような形の線(または記号、文字)があるのだ。聞いたところでは、まず最初にこの気まぐれな線のようなものをキャンバスに描いてから回りの背景を描き込むという制作行程らしく、この気まぐれな線は絵の雰囲気やトーンを決める最初の一歩的なイメージになっているのだろう。普通は背景を描いてから中心の最も重要な意味合いの物へと移行する制作過程がここでは真逆になっていて面白い。絵の色使いも独特だが、どことなく日本人的な色使いではないと思った。そういえば昔、中学校の絵のクラスなんかで自称「絵が苦手な人」が「何を描いたら良いか分からない」とか、「絵が下手なので恥ずかしいから描きたくない」とか言っているのを耳にした記憶がある。しかし絵の世界においては「何を描いても全然かまわない」し、「下手でも全然かまわない」のだと思う。世の中には色々と「うまくやらねばならない」事が多い。大人になると余計にそれは暗黙に要求されるような気がする。字をうまく書けた方が良いとか、お行儀よくしなきゃならないみたいな事は大人になるためにしなくてはならないことなのだ。でも、絵を描くという行為ほどそういった規制から一切解放されている行為はないと思う。絵は「うまく描こう」とか、「きれいに描こう」みたいなことをまったく気にせずに描かれるべきものなのだ。絵を描くという行為はまったくの自由であり、本人の勝手であり、世の中にはびこる一切のしがらみや約束に縛られる必要のない数少ない行為だと思う。でも、最も簡単なはずのそれがなぜか難しい。自分を解放するために描いてるつもりが「下手だなあ」とか思ってどんどん萎縮していって、つまらなくなる。楽しくなくなる。日頃から心を解き放つ事に慣れていないというか、普段はああすべき、こうすべきってことが多いから絵でもそうなっちゃうのだろうか。大分話が脱線しましたがようするに高石晃の展覧会を見て思った事のひとつは「自由に描く事の大切さ」みたいな基本的なことだったのです。子供の絵がなぜ素晴らしいかといえばそれは好きなように描いているからでうまく描こうみたいな外からどう見られるかをまったく気にせず描けるからだと思うのですが、大人になるとなぜかそれが難しくなる。

ピカソについて

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ピカソの絵が好きだ!そういう人がこの世には実に多いから彼の絵は何億円もするのだが、もちろん僕にはそんなの買えないのでもっぱら美術館で実物を見て感心するばかりだ。

 

初めてニューヨークに行った時、まだゲルニカがニューヨーク近代美術館にあったのを覚えている。その何年か後にスペインのプラド美術館に返還されたのだが、僕はラッキーにもニューヨークでゲルニカを見れたのだ。しかし、せっかく見たはずなのにあまりはっきりとその時の気持ちなんかを思い出せない。もしかしたら「なんだ、思ったよりも小さいなあ」とか感じたりしたのかもしれない。教科書や本で見ていて思い入れだけが先走り的にふくれあがってしまった作品の実物をいざ見るとなぜかがっかりしてしまう事ってありますよね。僕にとってはモナリザがその代表格で上野の美術館に来た時に長蛇の列を並んで中に入ってほんの一瞬、通り過ぎるように見たモナリザは思ったより小さくてがっかりした。

 

しかし、モナリザは描かれた時からずっと同じサイズだった訳で、思ったよりも小さいというのは僕の勝手な思い込みでしかない。(だが、かつてナポレオンがモナリザを所有していた時に、自分のお気に入りの額に納めるために端を切ったという話を聞いた事があるのでもしそれが本当なら昔は今よりは少し大きかったのかも)とにかく、せっかくゲルニカを見たはずなのに記憶の中の印象が薄いので残念です。

 

それとは対照的に印象バッチリのピカソもあって、それがこの写真で沢山の人に囲まれているアヴィニョンの娘たちだ。ニューヨーク近代美術館の宝と言っても良いほどの名作はピカソが現代絵画の夜明けを告げるかのごとくに描き、新しい絵画表現として打ち立てた金字塔的な作品。しかし、最初はこの作品の意味を誰も分からず、ピカソが画家仲間に見せても馬鹿にされたり無視されたというから面白い。

 

ニューヨーク近代美術館には、中学校の美術の教科書で見た事あります!というような作品がごろごろしているが、このアヴィニョンの娘たちもそのひとつ。そして、この絵に関しては最初に見た時に思ったよりも大きくてちょっと感動したし、今でもニューヨークに行くと必ず見に行くピカソの作品です。この絵がいかに素晴らしいのかなんて語るつもりは全然ないし、語れもしないですが、とにかく僕はこの絵の発する存在感や存在力?的な何かに凄く惹かれるので毎回この絵の前に立ってしばらくじーっと眺めるのが好きなのだ。

 

ピカソといえばその生涯を通じて信じがたいほど膨大な数の作品を制作した事で有名だが、絵画や彫刻、陶芸など実に様々なジャンルで作品を残している。ピカソの凄いのはどのジャンルであっても彼にしか作れないオリジナリティー溢れる作品を作り出し続けた事であり、その無限の創造力は半端ではない。また、数多い恋愛遍歴も全て制作のエネルギーとなったし、決してきれいごとじゃない人間味溢れる生涯において人間臭い作品を作り続けた天才だった。絵を志したらピカソに影響を受けない画家はいないと思うし皆どこかで1度や2度ピカソに打ちひしがれる。「子供は絵の天才だが、問題はいかにしてそのまま大人になるかである」ピカソの名言はそのまま彼の偉大さを物語るようだ。

 

ELM 15 

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ヒロ杉山さん率いるエンライントメントはグラフィックデザインからミュージックビデオ、アートまで幅広い活動を続けて来た。
そのエンライントメントが今年で設立15週年となり原宿のGYROで回顧展?のような展覧会、ELM 15を開催。会場には過去の様々な作品が展示されていたが、懐かしい作品もあり、初めて見る物もありでとても楽しい。バナーのように過去のグラフィック作品が天井から吊り下がっていたり、ミュージックビデをも見る事が出来た。ヒロさんはアーティストとしてhiromi yoshii Galleryにて斬新な試みの作品を数多く発表して来たがそれらも一部を見る事が出来た。様々な仕事の足跡を垣間見ると、ヒロさんがとにかくデザインやアートが大好きなのが非常によく分かる。15年前というとちょうどマックが一般にも普及し始めてデジタル作品が流行り始めた頃で、エンライントメントはその新しいコンピューターによるデザインとアートの表現を牽引して来たトップランナーといえる。その後に続く多くの若者に多大な影響を与えたのは言うまでもないが、これからも影響を与え続けるに違いない。最近はアーティストをキュレーションしてシルク作品を作らせ、エデッィションを低価格で販売するなどのプロデュース業の方でも活動をしているが、アートを若者にも普及させたいという願いが強くあるのだと話してくれた。ヒロさんの作品は全て大好きだが特に好きなのは写真をデジタルで再現した緻密な作品で遠目には写真のようでも近くで見ると色や陰影が小さなレイヤーのように区分されてひとつのイメージを作り上げているというもの。会場にも何点か展示されていたけど特に凄いのはフクロウの絵で何度見ても驚かされる。人間の見る物はスムーズに見えても実際は細かな色や光の集積で成り立っているというのをリアルに感じさせてくれるような作品だ。それにしてもデザインやアートにとってコンピューターの出現とはちょうどウェッブの出現で我々のコミュニケーション方法が革命的に変化したのに匹敵すると思う。そして数々の新たなアプリケーションは今も表現の可能性と領域を広げ続けている。時々思うんだけど、もしもピカソにマックを与えたらいったいどんな作品を作るのだろうか?もしくはウォーホールがマックを使っていたらどんな事をしただろう。その昔、絵の具のチューブが開発された事で画家が絵の具を外に持ち歩けるようになった事が印象派を生んだという話を聞いた事があるが、テクノロジーの進化と表現は常に密接な関係にある。だけど、もしもタイムマシンがあったらマックを過去に持って行ってダヴィンチとかミケランジェロみたいな偉大な芸術家に使わせてみたいなあ。

NeoSilk展

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グラフィックデザイナーでありアーティストでもあるヒロ杉山さんがキューレーションした15人の作家達によるシルクスクリーンの作品展が開催された。様々なアーティストやデザイナーが参加してそれぞれ独自の作品を仕上げている。作品は全て同じ大きさだが、よく見るとシルクの印刷にキラキラ光るピグメントなども使われていて凄く贅沢。でも、価格はなんと3万円!ヒロさんに話を聞くと本当はその倍以上の原価になる予定だったのだが値切りまくって拝み倒して3万円で制作してもらったそうです。見た目は3万じゃあ安過ぎる感じだが、ヒロさん曰くそこがポイントで3万以上だとどう頑張っても若者には手が出ないと思ったのだそうだ。ヒロさんとしてはこれは平成の浮世絵プロジェクトと位置ずけしていて価格が手が届く物であるのは大事な要因とのこと。また、大きさも考えた結果、この大きさが大き過ぎず小さ過ぎずのパーフェクトな大きさだと判断して決めたそうです。それにしても素晴らしい企画で、アートを近くに感じられる物として普及させたいと思っている自分としても凄く励みにもなるし、参考になった企画展だった。これだけ沢山の人気作家の作品展という事もあってオープニングには沢山の人が押し寄せてワイワイと活気があって楽しかった。アートを普及させるのは日本ではとても大変だけど、少しづつ頑張って変えていかなければなあとしみじみ思いました。それにしてもアーティストが頑張って企画展やるんじゃなくてそういうプロがもっと増えて欲しいものです。海外だとアートをビジネスにしてやろうというキュレーターみたいな人が沢山いてアートがビジネスになっているのに日本はそういうシステムがほとんどない状態なのは悲しい現実ではある。学芸員とかああいう古い感じの呼び名からまず変えなきゃならないのではないか、余計なお世話だが。