月別アーカイブ: 2013年10月

SAYO NAGASE exhibition PINK LEMONADE

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写真家の永瀬沙世さんの写真集の発表会を兼ねた展覧会を見に恵比寿のスペースALへ。このスペースはクリエーティングエージェンシーのKIKIの事務所の1階にあり、ここでの様々なイベントなどはKIKIが仕掛けている。展示会に貸し出す事もあるし、展覧会をする事もある。今回はKIKIに所属する写真家の永瀬沙世さんの展覧会。今回の写真集「PINK LEMONADE」は過去にも写真集を出しているスウェーデンの出版社LIBRARYMANより出版された。最近多くなってきた女流写真家だが、女性の写真は男性の写真よりもどこか感傷的で繊細なものが多い気がする。永瀬沙世さんの写真もどこか感傷的で繊細である。そして、作品を通して一貫しているのは、まるで夢の一コマのような不思議な空気感だ。一見するとロマンチックで夢見るような雰囲気だが、よく見れば被写体は生っぽいというか、あらわな姿だったりして、なんというか、そのアンバランスな感じが面白い。そこに写された女性は様々な表情とコスチュームで違った物語の中を生きる主人公のような存在感でストーリー性をほのかに感じさせつつ、しかし具体的な物語そのものは謎に包まれたままのような奇妙な印象を見る者に与える。ギャラリー内に設置された巨大なインスタレーションは彼女の夢の世界への入り口か?とにかく、不思議な魅力を持った写真家でありこれからも彼女のような個性的な女性写真家がもっと沢山現れそうな予感を感じさせてくれた。

ELM15 Hiro Sugiyama archive Exhibition

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グラフィックデザイン事務所、エンライトメントの15周年を記念する企画の第2弾としてエンライトメントの核となるグラフィックデザイナー&アーティストのヒロ杉山さんの作品をまとめた集大成本「ELM15」が出版された。そしてそれと同時にヒロさんの作品アーカイブを一挙に展示するという大規模な展覧会が開かれた。場所はパルコパート3の地下1階に新しくオープンしたPARCO GALLERY X。会場には90年代のペインティングから現在までの様々な作品150点あまりが所狭しと展示されている。アート作品で埋め尽くされた壁面は見ていてまさに圧巻の一言だが、こうしてヒロさんの今までの作品を一堂に見られるとはなんとも贅沢で素晴らしい企画展だった。ペインティングあり、ドローイングあり、コラージュありととにかく多種多様な方法でアート作品を制作して来たヒロさんの作家としての知見の幅広さと表現の多様さは才能といってかたずけてしまえば簡単だが、それ以上に、この人は本当に根っから描く事が好きなんだなと改めて認識させられた。そして、アートの事に非常に詳しいのも様々な作品を見ていてよく分かる。以前、ヒロさんと美術書籍店のナディッフでバッタリ会った時に両手に沢山のアート関係の本が入った袋を抱えていて驚いた事があったけど、きっと、世界中のアートやグラフィック、写真などを常にチェックして新しいアーティストやその斬新な表現などを見て勉強しているのだろう。展覧会の会場にはもちろんヒロさんご自身もいて山のように積まれた集大成本「ELM15」を買った人にはもれなくサインもしてくれた。サインと共に簡単だが味わいのあるイラストも描いてくれて大感激!僕の似顔絵なのだそうだがそういえば雰囲気は出ているなあ。それにしても、本当に絵を描くのが好きな人だなあとここでもまた思った。絵なり何がしかのイメージというのは見る人に与える様々な側面を持っていると思う。人間が「ものを見る」という行為をする時には無意識に脳が必ずそこに何かを識別しようとするのだが、そこをうまく刺激するのが絵の科学的な側面?でも、それだけで成り立っている訳ではなくてやはり理屈じゃなく心に響くというような側面もある。ヒロさんはグラフィックデザイナーとして脳に刺激を与えるイメージの力の側面も熟知しているし理屈じゃない心も大切な側面だと分かっている非常に優れたアーティストだと思う。冷静であると同時に感情的にならなければならないような矛盾した作業が絵を制作する時には必要なのだが、ヒロさんはそれを長年に渡って様々なスタイルで実践して来た。それを見た人が一瞬でも絵の世界に入り込んで日常とは違う別の次元で何かを感じてもらえるような絵なりイメージをこれからもヒロさんは作り続けるに違いない。

本木雅弘「ニューヨークの思い出やコンセプチャルアートの話。」

80年代から90年代のニューヨーク

田辺なんかね、ニューヨークによく来ていた頃は、80年代終わりとか90年代くらいかな、なんか、やぱり最後の輝きじゃないけど、ニューヨークのナイトライフっていうかその、街自体の凶暴性みたいなものが終焉する最後の時で、それなりにクラブとかもすっごい面白かったし。
ニューヨークのアートって街で起きてる雰囲気と切り離せないじゃない。

本木あー、例えば、少しマイナーで、危険なエリアが起爆剤になってブームが生まれたり、発展したりみたいな、、。

田辺人が刺激受けて、アーティストもアートするし、人と人が繋がったり離れたりしてみたいなこと全部を含めてニューヨークのシーンだったから。
だからそこを見れたっていうのは凄く貴重だったし、良かったと思う。

本木本当にそう!そこで良太さんも絵を描いていたし、何度もニューヨークにお邪魔してギャラリー巡りにくっ付いて行ったのが面白かった。
で、やっぱり、その中でも特に印象的にひゅっと思い浮かぶのは、ガゴジアンギャラリーに連れて行ってもらって1枚だけだったと思うけど、サイ・トウォンブリーの大きな絵を見た時に、、あれだけ抽象的なものだけど、現物から来る迫力?っていうの。本当に、巨木を目の前にした時のような、なんか、その「気」みたいなのをひしひしと感じたのを覚えてる。

田辺なんか、サイ・トウォンブリー最初、実物見たことなくて本で見て、でも、なんでここまで凄い作家なんだろう?って思って。
で、実物を見て感じるものっていうのが並半端なものじゃないっていうか、それはやっぱあるよね。

本木そうそう、サイ・トウォンブリーのあの、無作為に投げ込まれたような絵の具。そこに鉛筆でいたずら描きしたような、散文ともなんともいえない言葉がただ並べられ、そこに手で拡げたようにまた絵の具がかぶる、、。本当に現物を見た時に、あの、いつ、何から始まって、いつこれで良し、ってサイ・トウォンブリーの中で美的終点をどこで達成したのかっていう、その狙いも見えない。で、ほとんど無題っていうのが多いじゃないですか。でも、発色がキレイ。何だか濁った色まで鮮やかに感じるし、様々なイメージが呼び起こされるっていうことがもの凄く面白くて。

田辺だから、抽象画の作家って沢山いるけれど、まあ、ジャクソン・ポロックとかも凄くショック受けたけど、サイ・トウォンブリーのあの静寂感とかなんだろう、なんか日本人とかが美的な共感性が持てる感じ?

本木そう、ちょっとね、なんか、単純な物言いで、ポロックファンの方に殺されるかもしれないけど(笑)子供の絵本でOLIVIAっていう、いたずら好きな子豚の本があるのね、あれの中で出てくる話で、その子豚ちゃんがある日、美術館に行ってジャクソン・ポロックの絵を見て「こんなの私も出来るわよ!」って言って、ぼたぼたぼたーってただ床に絵の具を垂らす、、で、ほら完成!みたいな、そういうシーンがあるように、正直、ポロックの実物もニューヨークでいくつか見たじゃないですか、その時も、あんまりグッと来なかった。でも、そのサイ・トウォンブリーのそれは。。。

田辺一発で来た!?

本木そう、何か、ま、心の琴線に触れるみたいな。(笑) なんか、こうひゅーっと染み入るような。響くようなものがあるって思った。さっき良太さんが日本的共感?って言ったけど、 おそらくそれは、ポロックのよりも、もっとこう余白というか間があるじゃないですかサイ・トウォンブリーの方がね。

田辺そうだね、全然あるね。

本木だから、その行間になにかやっぱり、漂うものっていうのが。

田辺月並みだけど、なんか、禅とか侘び寂びとかさ、そういう美意識通じる何か。

本木そう、なにか、静寂も豊かさ、というような感じがあるんじゃないですか。

田辺西洋のものでありながら。
ジャクソン・ポロックってなんだかんだ良いながらアメリカンだからさ。

本木簡単に言うとパッションみたいな感じ?

田辺そうそう。
まあ、本人もアル中で死んじゃったけど。
で、あの頃はガゴジアンギャラリーが急成長してた頃だけど、ニューヨークはまあ、街中にアートがあるけれど、全体的な印象としてはどう、ニューヨークに行くとアートに出会えるって感じだったの?

本木そうですね、それで、人間の種類の多さというか、個性の幅を感じる。やっぱり作品に衝撃を受けたりすると、その人となりを知りたくなるじゃないですか。

田辺そうだよね。

本木で、少しは調べたりとか。サイ・トウォンブリーってね~、50年代に一応戦争に行って、アメリカ陸軍の暗号係?だったんだって。
だからそれでちょっとあの感じ?もしかしたら当時使っていた暗号を絵の中に散りばめたりしていたのかなとか。
それから、良太さんに教えてもらったけれど、本人は早々にローマに移住してしまって、もの凄い大理石の大きな家に住んで、そこの壁に自分で子供のいたずら描きみたいな絵を描いているでしょう。

田辺かっこ良過ぎるよね。

本木ほんと!そしてある時期からオブジェも沢山制作していて、、。
もう木でも銅でも何でも組み合わせてただ白く塗りたくっちゃうだけみたいな、何を意図しているのか分からないけれど
でも、やっぱり通じるものがある。そこまでにちゃんと抜き差しがされているような、、
特に洗練された形じゃないのになにか洗練を感じる。で、それがとても不思議。あと、あんまり注目されないんですけど、本人の写真って言うのが素敵なんですよ。

田辺それは見たことないな。

本木それも、例えば、花とかローマの建造物の柱のかけらをボケボケ写真で撮ってるとか、やっぱり本人の絵に通じるものがある。

田辺何やってもサイ・トウォンブリーなんだね。

本木そうそう、空と雲のボケ写真とか、見上げた空に、松の枝みたいのがざーっと入って来ているっていうのを捉えているんだけど、別に空を撮っている訳でもなく、その木の枝を撮っているんでもなく、見えてるものを、別のものにしてるみたいな。
その視点、これは色を見たの?形を見たの?それとも見えてるけど眼に見えないものを撮ろうとしたの?もう、とにかく堂々巡り、良い堂々巡りをしていく訳よ、なんか、観客として。

田辺まあ、でも今言った見えないものを撮ってたのかもしれないね。

本木だとすると、やっぱりアートって凄いね、、。さっきその、その場所の光をアーティストがどう捉えるか?みたいなことを言いましたけど、本当になんか、分からないけど、芸術って、光であり、同時にその影響は、ある意味毒ですよね。

田辺うん、毒ね。

本木たぶんアートも人々も、その間を常に行き来している、、。ある人にはその作品の神々しさが光のように眩しくて、ある人には毒のように効いていくとか。中には,自身の心の傷を表現するっていうアーティストもいるじゃないですか。傷そのもの、もしくは解毒したい思いで。で、それに共感した人が同じように解毒していくみたいなことであったりする。ある種、人はその輝きか毒かを求めるみたいな。あれっ、、何言ってるんだろっ、(笑)、その、両方がきっとアートっていうもので、だから、なにかそういう、製作者の心が透けて見えるって言ったら大袈裟だけど。そこにやっぱり惹かれていくんだと思うんです。

田辺この間話した目利きとか、なんとかって話、そんなに好き嫌いとかはないんだけど、ただ、これは本物だっていうか、偽物だっていうのはあると思う。
どんなにうまくやってみても、英語でオセンティック(本物)とフェイク(偽物)って言うんだけど、やっぱオセンティックなものっていうのは分かるかなって。
やっぱ、感じるじゃん、で、人は感じる事はごまかせないから、だからどんなにうまくても、そこに何かを訴えようって心がなかったら響いて来なかったり。

本木普遍的なものにならない。

田辺ならない、だから好きにも嫌いにもならない。
アートはやっぱり、好きか嫌いか、嫌いでも良いと思うんだよ、でも、何か人の感情を揺さぶるものがなければいけない?まあ、それはいろんなレベルはあると思うけど。

本木良太さんはそれを信じている?で、そういったものを感じ分ける力っていうのを、やっぱりこんだけ沢山のアートに携わっているとわかる?

田辺うん、そう思いたいけどね。
自分ではそういう風な目でみているつもり、だからギャラリーに行って、どんなに偉そうなのがあっても、なんかこれ何にも感じないなっていうのもあるし。
逆に、名もない人のものであっても、凄い!って感じるのもあるし、それが楽しいし、アートが存在する意味のひとつって、自分も感情があって、それは色んなレベルで揺さぶられたりするけれど、やっぱり、他の人が感じたものが印された何かに触れる、それが発せられているものに触れると、自分もなにか、共感するとか、色んな意味で豊かになるというか。

コンセプチュアルアート

本木うん。またね、カジリだけな話ですけど、マルセル・デュシャンの「泉」ってあるじゃない。、本当は「ファウンテン」って「噴水」って意味で。
あの便器に、チョロチョロと、おしっこしてる男根も含めて感じさせる噴水だ、ってあるものには書いてあったんだけど。
ああいった、コンセプチュアルアートの先駆けと呼ばれるものを見るともう全てがアートの定義にはめられてっちゃうじゃないですか、でも、さっき良太さんが言ったみたいに、きちんとした思いがあって、そこに辿り着いたり、もしくは発見されたものがあれば普遍的なものとして残ると。
あのマルセル・デュシャンのもひとつの事件として残ってる訳でしょ。
で、それをたまたまスティーグリッツのスタジオに持って行く機会があったかなんかで、撮影もされて世の中に残っている。
まっ、その現物自体は最終的に、コンセプチャル反対派が壊しちゃったらしいけど。、、、あの手については?

田辺それはまあ、コンセプチャルアートはそんなに深く知っている訳ではないけど、ヨーロッパとか、まあ、西洋の現代美術の中にインテレクチァルな人達の流れっていうのがあって、それは目でみて美しいっていう昔の美術っていうみたいなものから芸術になって行くっていうか、なんかその全てになっちゃった。

本木あれは、どちらかというと、ひとつのポエム?みたいな。
言葉とか、音楽を感じさせる、、?。
あと、そうだ、ちょっと離れちゃうかもしれないけど、日本でいう茶室の中で使うお香?

田辺お香?

本木香道は、香りを嗅ぐものだけど、香を聴くっていうじゃないですか。

田辺あーなるほどね、そういう感性ね。

本木だから、そういうのに近い?
要するにただその、美的意識や視覚を中心に訴えるものじゃない芸術。

田辺そうそう、だからたぶんその知的レベルの高い人がお好みになるというか。 なんか、色々やり尽くしてそこに行くしかないとか。 俺はね、コンセプチャルな作品でもみて感じなきゃ嫌だね。 それで、それは俺の中になにか、好みがあるし、なんかこう美意識を感じる装置があって、そこに触れてこないとなんか嫌だなって感じ。

本木ん~、、自分もそう思う。
理屈こねるのとても好きなんだけど、やっぱり疲れる。

田辺そうだね。

本木うん、、あなたの悩みに、謎掛けに、そこまで入り込む心の余裕がありません!ごめんなさい!みたいな。(笑)
それとはまたずれるかもしれないけど今ふっと思い出したので、、クリストみたいなものは?
梱包芸術?もうプロジェクト?そんなのあるんだ~って最初びっくりした。
昔、ビデオで色々まとまったものを観た事あるけど、こう、人体とかマネキンにぐるぐるぐるっと布だかテープだか、巻き付けるっていう、あれもパフォーマンスとして凄く面白いなって思ったけど、まあ、ああいうのに始まり、やがて、ロッキー山脈にピンクのカーテンかけちゃうとか、オーストラリアのビーチを2キロくらい埋め尽くしちゃうとか。

田辺環境に悪いんじゃないか?

本木そうそう、日本でもなんか、茨城でアンブレラプロジェクトとかやったし。
もう、ああなっていくと、あれも凄いですよね。

田辺凄いよね。

本木ほとんど自分たちのお金でやるってところも凄いわけでしょ。

田辺お金集めるっていうね。

本木あそこまで行くと、芸術か否かって所を越えて、人間の生き甲斐の迫力を感じる?みたいな。

田辺特殊な才能だよね、まあ、夫婦でたまたまやったっていう。
でもクリスとも、なんか、すっごいピンクだったりとか美的要素っていうか彼自体が、プロジェクト自体がどう観られるかっていうのを意識しているところはなんか、美的な事をやってるじゃん。

本木あーセンスを感じる?

田辺そう、センスを感じる。 でもさ、例えばウォルター・デ・マリアっていう作家、直島なんかにも作品あるけど、彼は凄く評価されているコンセプチャルアーティストなんだけど、凄い変な彫刻とかなんだけど、あと、ニューヨークではギャラリーに、セカンドアースって言ったかな、とにかく、ギャラリーの床全部を土で埋めてんのよ。このくらいの高さまで。

本木はあはあ?

田辺で、こっちがガラスみたいになってて側面が見えるんだけど、なんじゃこりゃ?みたいな。

本木ははは、ファーストインプレッションもその後見ても同じ感じ?

田辺なのに、永久展示物なんだよ、それが。

本木へぇ~、で、それは評論家とか、世間はどういう風に評価してるの?

田辺ほとんどの人はなんじゃこりゃ?だろうね。
あとなんか、ブロークンキロメーターって言って直径10センチくらいのゴールドの棒がズラーって並んでんの。
で、それを足したら1キロなんだろうけど、とにかく、それが並んでいるだけの彫刻?オブジェなんだけど、とにかく、なんじゃこりゃ?の人なんだよ。
で、あとは、メキシコだったっけな、平原にいっぱいアンテナが立ってて、雷の多い地域なんだよ、で、その雷が落ちるのを見るっていう作品なんだけどさ、さっきのもそうだけど、どっからどこまでがアート?っていう風になっちゃうじゃない。

本木もう、わからない!

田辺そう、分からない。

本木雅弘(第1回)「ロンドンでの家族との暮らしコクトーの話。」

本木雅弘(第3回)「素朴なアートのパワー、日常がアートな話。」

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2011年に亡くなってしまったファッションイラストレーターの杉本祐子さんの展覧会を見に銀座にあるポーラミュージアムアネックスへ行った。ファッションイラストレーションは僕の好きなジャンルであり、それを目指した事もあったのでとても興味深かった。会場には額に装丁された杉本さんのファッションイラストレーションが展示したあったが、仕事がとてもきれいなのでオリジナルなのかプリントされた物なのか近くに寄って眼を凝らしてみても分からないほどだ。もちろんオリジナルなんだろうけど、インクの線や水彩の着色面を見ても見分けがつかないほどに丁寧に描き込まれている。彼女のファッションイラストレーションは全て女性がモデルとなって様々なファッションでポーズをとっている姿だが、様々なファッションのスタイルとモデルの髪型や仕草が緻密に計算されて見事にマッチしている。背景や小物のようなファッション以外の要素もお洒落に効果的に描かれていて見ていてとても楽しい。ファッションという時代の風俗を表現しつつも本当のお洒落という不変の要素を描き込んでいるセンスの良さは素晴らしいしファッションイラストレーションの果たす役割を見事にはたしたイラストとなっている。とても素敵でセンスが良くて可愛いファッションイラストレーションの数々は女性が夢見るお洒落な世界を思い切り描き切っていて見ていてとても気持ちの上がる展覧会だった。残念だが杉本さんは他界してしまって新作を見る事は出来ない。しかし、彼女が残した沢山の作品を通していつまでも彼女の描いた時代のファッションと女性の世界観は観る人の心に残って行くことだろう。

サイトウユウスケ MM2

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代官山にあるお洒落なギャラリー、GALLERY SPEAK FORでサイトウユウスケ展があった。実はこの方のアートを今まで知らず、今回初めて作品を見させてもらった。オープニングという事もあり、またファンが多いのだろうか、ギャラリーは大勢の人でいっぱいだった。お友達なのだろうか、そら耳アワーでお馴染みの安斎肇さんとのトークなどもあったりして盛り上がっていた。作品はイラストレーションで人物画が多い。モモクロ、パフューム、キャリーパミュパミュ、小泉今日子などなど、音楽系の雑誌の表紙を長年描いていたというからかミュージシャンのユニークなポートレイトが圧倒的に多い。何でもペンタブレットで描いた作品が多いというがその素晴らしい写実力と表現力には圧倒された。画面の構成やイラストの雰囲気も良くて才能溢れる作家であることは間違いない。描かれているミュージシャンの方々もきっとこんな風に面白く、素敵に描いてもらったら喜んでいるんだろうなと想像する。考えてみたらポートレイトは最も古い絵の在り方のひとつだ。その昔、まだ写真がなかった頃に貴族や王様なんかが自らの姿を画家に描かせた肖像画はヨーロッパのミュージアムなんかに行くと山ほどある。権威の象徴だったし、歴史の記録でもあった。今は写真が取って代わったのだけど、そんな今の時代だからこそ絵で自らの姿を残すのはより貴重で素敵なことに思える。もちろん写真だってうまく撮るのは難しいけど、絵の方が制作に費やす時間や労力は遥かに多いので贅沢な趣向といえるのではないか。サイトウユウスケ展を見つつそんな事も思ったり、あとはポップアートについて色々と思った。彼の作品に描かれているのは有名なミュージシャンとかが多いけど、これはポップアートだなと思いながら作品を眺める。そして、彼の表現手法も写実的であるけど、全体的に印象はどこかポップだ。浮世絵もその昔は歌舞伎役者のブロマイド的なポップアートだったと思うし、日本人はポップアートが大好きなのだ。マンガだってとても大衆的なポップアートだと思う。そんなことを考えつつ、でも、素直に面白いポートレートの数々を楽しんだ展覧会でした。

ARATANIURANO、山本現代合同グループ展「未来の体温 after AZUMAYA」

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白金アートコンプレックスの2階にある ARATANIURANOギャラリーと3階にある山本現代にて二つのギャラリーの合同グループ展「未来の体温 after AZUMAYA」が開催されている。この展覧会は、昨年亡くなったキュレーター東谷隆司氏を偲び、親交の深かった美術批評家の椹木野衣 氏にキュレーションを依頼。5名のアーティストを選出しその作品で構成した展覧会だ。2階と3階は同じ作家達の作品をそれぞれに展示しているので印象は似ている。1999年に世田谷美術館にて「時代の体温」という日本の美術史に残る展覧会を始め、様々な分野で活躍した東谷隆司氏の志に思いを馳せ、彼が見据えた未来に思いを巡らせるグループ展となっている。今という時代をダイレクトに感じるような作品もあればユニークだが独自の表現を貫くペインティングなどもあって非常に面白い企画展だった。ところで、白金のアートコンプレックスには1階から4階まで様々なギャラリーが入っていて一度に沢山の展覧会が見れるのでとても好きな場所だが、もっとこういったギャラリービルが増えたら良いのになといつも思う。清澄のギャラリービルもとても良いのだけど、渋谷界隈にいる事の多い僕にとっては場所が遠いので少し不便なのだ。東京の不動産事情を考えるともちろん致し方ないのだけど、ニューヨークなんかだとチェルシーにギャラリーが集中してるので見る側にとっては非常に便利だ。千代田アーツみたいな学校の建物をアートの施設にしている例もあるけど、訳の分からない公共事業にお金使うんだったら少子化で都内にますます増える廃校になった学校とか、何でも良いのでどこか便利な場所にアートを見れる施設みたいなのを国が作ってギャラリーに安く貸すとかすれば良いのになあ。なんて、思いますがまずそういう事は発想にすらないだろうなと勝手に納得しつつギャラリー行脚は続くのでした。。。

吉村昌也 「素白と玄黒」展

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渋谷ヒカリエ8階の8/ART GALLERY/ TOMIO KOYAMA GALLERY(小山登美夫ギャラリー)にて陶芸作家、吉村昌也氏の陶芸作品展を見る。圧巻の造形美と質感、そして、発想がクリエーティブで面白く、なによりも力強い趣の焼物の数々が出迎えてくれる。小山氏はファインアート以外にも多くの陶芸作家を抱えており若手の作家も多い。今回の吉村氏は年配の作家さんでその熟練したスタイルには落ち着いた中に斬新な試みを恐れない凄みのようなものを感じる。展示してある様々な形の壷や皿、水差し的な物や花瓶などは全てがそれなりに独特な表情を持っていて見ていてとても愛らしい。非常に王道的な形もあれば中には見た事のないような新しい形もある。だが、全てに通じて主張し過ぎない奥ゆかしさの中に潜む大胆な存在感のようなものを感じた。今更だけど、焼物って、見ても楽しいし使って楽しめるし、本当に良い物だなあと率直に感心したのだ。骨董好きのおじいさんが壷をなでたり眺めたりして楽しむみたいな世界って本当に余裕があって素敵な気がする。北大路 魯山人が「陶芸品は料理の衣装だ」的な言葉を残しているのをどこかで読んだ記憶があるが、器ってそこに盛られた食べ物の味まで変えるほどに大切なものだと思う。話が脱線するけど、スーパーで惣菜とか刺身を買って来てうちで食べる時には必ずちゃんとしたお皿に盛り直して食べるようにしている。スーパーのペラペラのプラスチック容器で食べるよりも美味しく感じるし、ペラペラの容器で食べるのって切ない気持ちになるので。お花だってそれを生ける花瓶次第で印象が全然変わるものです。話を戻しますが、この展覧会を見て、陶芸品ってどんなに時代が移り変わっても我々を魅了し続けるとても大切な存在なのだと再認識させられました。

大村雪乃シールアート展

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11月の27日から2週間、新宿伊勢丹で作品を展示するアーティストの大村雪乃さんがそれに先立って新宿のコニカミノルタプラザにて展覧会を開いたのでお邪魔した。彼女の作品は六本木アートナイトで見て非常に感銘を受けて早速に連絡をして伊勢丹での展示を頼んだのだけど、コニカでの展示は大型の作品が多くて相当な迫力があった。伊勢丹では売り場の中なのでここまでの展示は出来ないが、訪れる人の数は非常に多いので沢山の眼に触れる良い機会となるはずだ。彼女の作品は事務用品屋なんかで売っている丸いシールを使って制作されている。作品は風景画で特に夜景が多いがそうでない物も表現出来る。でも、やはり夜景が一番インパクトがあって凄い。遠目に見るとまるで写真のような迫力とリアリティーがあって、これが丸いシールで描かれているなんて信じがたい。風景を彼女なりに把握してそれをシールで再現する訳だがその再現の仕方は彼女が独自に編み出した技術というか方法であり、なかなか真似の出来る技ではない気がする。それにしてもよく思いついたというか、よくやるなあ〜って感心してしまう作品です。この作品はアートに興味ある人でもない人でも大人から子供まで素直に楽しめる作品だと思う。パッと見て「あ、きれいな夜景の写真」って思って近くに行って良く見てみるとそれが丸いシールで作られているのにびっくり仰天になるはず。もしも、直に見てみたいという方は11月の27日から2週間、新宿伊勢丹の2階に是非お越し下さい!

本木雅弘「ロンドンでの家族との暮らしコクトーの話。」

子供と行ったダミアン・ハーストの展覧会

田辺今日はお忙しいところをどうも!

本木いえいえ、よろしくお願いします!

あの、まずお断りと言いますか。

私は不器用な人間で、今10年ぶりに出来た3人目の子供がいる生活してます。

なので、かつてのアートが近くにあった生活とは全然違う次元で暮らしているので。

田辺あ、なるほど。

本木今は良太さんがニューヨークにいた時に色々と案内してもらった頃の記憶だけが、いや記憶の断片が、残像が、(笑)それだけがアート的な財産になっているだけです。

だからそれを思い出しながら話す程度しか出来ません。

田辺じゃあ、ニューヨークの事とか好きな作家とか、そういう話をしましょうか。

本木そう、拾い読み程度な感じで。。。

田辺了解しました。

ロンドンの事にも触れて良いの?

本木あ、うん、大丈夫。

敢えて公表はしていませんが。

田辺ちょっと待って、10年ぶりだっけ、子供?今何歳?

本木15歳13歳3歳。

男の子、女の子、男の子です。

田辺子供達、喜んだでしょ?

本木うんそう、出産にも立ち会ったし。

だから今も、真ん中の女の子がイギリスの学校にいるんだけれども、留学するにあたって、せっかく出来た3番目の兄弟の成長を共に近くで感じていくのは互いの情操教育にも良いんではないかと思い。

で、小さな子供を連れて行くには自分たちがそちらで生活してないといけないという訳でもれなく引率しているってことなんです。

田辺あーそういう事が出来るっていうのが良いね。

本木そうですね、でもまあまだ行って1年は経っていないけれど、ロンドンって基本、ミュージアムがただじゃない。

田辺そうだよね。

本木そう!で、その環境にありながらも向こうでも子育てに追われているのでほとんど行けてない。

一応、テートモダンでやっていたダミアン・ハーストの展覧会に行ったくらいですね。

田辺ダミアン・ハーストは、最近のイギリスのスーパースターで、彼の作品は街にもいろいろあったりもするってこの間話したけど、どうでした?ダミアン・ハースト展は?

子供と行ったの?

本木子供と行った!

田辺子供も楽しいよね、きっと。

博物館みたいな感じだし。

本木そうそう、巨大な人体模型とか、その、牛をまっ二つとか、そういう奇妙なものも違和感なく見ていた。

サメだったかな、同じシリーズの、ただ、サメであることに過剰反応している感じで。

田辺アート作品というよりも。

本木で、最後の方にあった本物の蝶を放してる部屋の時は、もうそこでトラウマになるほど蝶が体にまとわりついて来て泣きそうな顔してるから逃げるように出て来ちゃったんですけどね。

田辺あーそう!

本木あ、あのー、蝶を円心上に張り付けてるシリーズあるじゃないですか、あれ、本物の蝶を貼ってる訳でしょ。

で、それがコノートっていう案外シックなホテルにあるフレンチレストランにバンバンって大きなサイズで飾ってあるんだけど、なんというか本当に美しくて品がいいんだよね。

とても簡単な言い方だけど。

田辺だから、出来そうで出来ない?

本木うん、やっぱりすごく希有な力を持った人なんだと思う。

そんなに今までは自分の好みとは違うと思っていたけれど、全体をあれだけの量で見てみると総体的な印象として上品だなって気がしちゃったのね。思考とか、仕上がり感が..。

田辺すっごい俺も行きたくて、行けなかったんだけど、行った人の話とか聞いていて。

ダミアン・ハーストは衝撃的なアーティストだったから全体を見れたっていうのは羨ましいね。

それで、その感想は品がいいっていうのは凄く面白い感想だと思うし。

本木いつだったかな、数年前にパリに行った時にルイヴィトンの回顧展やっていた時もダミアン・ハーストのオーダー作品があって、青いトランクなのね、もの凄く深い、蝶の羽根の青色みたいな、それも凄かった。神秘的な吸引力で。

田辺ああいうアーティストってインスピレーションもあるけど深い考えも同時にあるっているか、そういうインテレクチャルなレベルとアーティスティックなレベルっていうのが最後に作品に出るっていうのが凄いよね。

ロンドンは、博物館もいっぱいあるし、まあ、ブリティッシュミュージアムもあるし、なんか、ちっちゃいミュージアムとかもあるけどそういうのも行ったりするんですか?

本木えーっと、個性的な小ギャラリーはこれからって事で…。(苦笑)普段は子供連れてナチュラルヒストリーとかね、あとは、その横にあるビクトリア アンド アルバート?

あそこも、ふらっと入ったりすると銀食器ばかりがワンフロアーにあるとか、勲章だけを並べてるとか、決まったものを膨大に並べてるの見ると、もう、それだけでも見れるし。

田辺歴史があるからね、ヨーロッパは。

本木うん、本当にそうですね。

田辺ヨーロッパにいると色んなところに気軽に行けるって話をこの前しましたけど、距離が近いから。

近隣国のどこか行きました?

本木フランスとスイスと、つい最近にギリシャですけど。

あ、でも、いわゆるアテネとかミコノス島とかじゃなくて地図上だと北の方?どちらかというとロシアとかドイツから来る人が多いっていう半島でアルキデキって言ったっけな。まあ、ファミリーリゾートなんですけどホテルの脇の丘にポンと遺跡の残りみたいのがやっぱりあって、、その前のステージでおそらくギリシャ民謡なのかそれを少しアヴァンギャルドにアレンジして昔のオノヨーコさんの絶叫とサラブライトマンの美声?それを融合させたみたいなおばさんがその遺跡の前で歌うみたいなね。

田辺モダンミュージックなの?

本木うーん、どういう風に捉えられていたのかよくは分からないけど、かなり芸術的な風景だった。

で、あと、余談ですがフェタチーズって癖のあるチーズだと思っていたけれど、現地ではとてもさっぱりいただけるという感じでした。

田辺食べてみたいねー。

美味しいの?食事は大体。

本木美味しい!凄くギリシャ料理は美味しかった。

もうなんか、ミントとライムとかフェネルとかディルとか香りのあるものが沢山使われていて。

どれも見た目よりもあっさりしてほぼイタリアンに近いシンプルさで感じが良かったです。

田辺まあ、それはちょっとアートとは関係ないけど。

コクトーの存在感に惹かれて

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本木ちょっとかけ離れましたネ。

そしてですね!(バッグから額に入ったジャン・コクトーのアートを取り出す)

田辺おー良いですねー。

本木もう、本当に薄れちゃったの。

田辺うんうん、でも、しょうがないんだよ、そりゃあ古いものだから。

ただ、日向とかに飾っとくとどんどん薄くなっちゃうから。

直射日光は避けた方が良い。

本木そういうその、デリケートな神経が足りなくて…。それで。。。スミマセン!自分で自分の記憶を辿るために(雑誌のクリッピングを出す)月刊角川だったんだけど、そうだな、90年代?初頭に、まあ、コクトーに傾倒してた時があって、英語もフランス語も読めないから一部訳してもらいながら見ていったんですよ。

田辺自分なりに色々調べたりしたんだ。

本木そうそうそう。

コクトーは、詩人だけど絵も描くし、映画も撮るし、小説家でもあり、戯曲家でもありって人じゃないですか。

田辺マルチだよね。

本木そうそう、だからその辺の好奇心旺盛さ、また「私は真実という名の嘘である」という本人のセリフ、世の中に対しての発言、評論が物議を醸し出したりするような存在感に凄く惹かれて。

田辺うんうん。

本木で、案外そのイラストっぽい感じだけど、素描っていうの、そういった簡単なものも好きで。

モチーフに出てくるギリシャ神話の神々なり、こういう竪琴なり、大きな目とか手とか、描くものも、自分には新鮮だった。

田辺じゃあ、ある年代の時の感性が震わされて、凄く共感したアーティスト?

本木そう、そして、その90年代、コクトーを巡る旅と称してしばらくフランスを回ったんですよ。

かつて本人が晩年を過ごして、本人の遺体が埋められているミリラフォーレというパリ郊外の小さな村があって、そこには本人が内壁に絵を描いた小さな教会があってね、そこで本人のお墓の上に寝そべってみるとか(笑い)

田辺お墓の上に!(笑い)

本木そう、コクトー乗り移れ!みたいな、そういう事しながら。

で、そんなこんなで、マントンにある美術館も行ったんだけど、そこを目指す途中で南仏にビルフランシュっていう小さな港町があって。

そこにもコクトーが内装外装にペインティングを施している教会があるんですよ。

それを制作していた当時、泊まっていたホテルっていうのも現存していて。

そのホテルの11号室だったか19だったか忘れたけど。窓から教会が見える…。

田辺その部屋に泊まったの?

本木いや空いてなくて泊まれなかったんだけど。その町では、コクトーが映画も撮っていて、「オルフェの遺言」っていう一番好きな作品なんだけど。

映画ではモノクロで観た同じ風景がそこにあって感激したりとか。

で、そこに小さなお土産屋というか、コクトーにまつわるものばかり売っているお店があって。

そこで、ひとつ、亡くなった年の素焼きのお皿を買ったんだけど、でも、これってさ、ピカソのとかもどうなんだか分かんないけど、本人が直に絵柄を書いている訳じゃないでしょ?そのデザインをして、別の人が何枚か制作している訳でしょ?

田辺あー、でも色んなパターンがあると思うけどね。

これ、変な話、高かった?

本木確かね、それは、30万くらいだったかな。

田辺あーそしたらたぶん本人じゃないんではないかな。

本木でしょ!?

田辺ただ、お墨付きというか、本人の許しを得た人がやっているみたいな。

本木あー、彼はゲイだから子供がいた訳じゃないし、養子にした人がいて、まあ「オルフェの遺言」にも出てくる人なんだけど。

その人が管理して、その後は誰かが、みたいな、ちょっと忘れたけど。。

田辺だからその、ちゃんとしたお土産というか、ちゃんとしたレプリカだよね。

でも、そのぐらいの値段するってことは、結構ちゃんとした、大量なものじゃなくて。

本木あー、でもどうだろうな、そのくらいだった気がするけど、でも何か証明書的なものは付いていたけど。

今日はそれをチェックして来なかった。

実はこの皿をかつて長年飾っていたころに鑞を垂らしちゃったの。

田辺上に?

本木そう、素焼きだからちょっと吸っちゃって。

田辺あー

本木取れなくなっちゃって。

田辺ちょっと、残念だね。

本木そして、その店で同じように沢山のただのスケッチ?なにかのノートやら何かに描いた切れ端が沢山売られてる訳。

田辺へえー

本木で、それが、まあ、ファイルみたいにされていて。

べらべらめくりながら好きなの選ぶみたいな。

でも確か、許可を受けて、ここでしか売ってないとか言っていた…。

田辺これはーこれも高かった?

本木えーと、これが確か日本円に換算して12~3万みたいな感じだったと思う。

田辺あーでも、これは本物だよ。

こういうの沢山描いてたと思うけど、いいよね、ちゃんとサインも入ってるし。

この額もそこで?

本木いや、それで、これをどんなものに入れようかってなって、東京の中いくつか回りながら、これをどこで買ったか定かではないんだけど。

田辺ぴったりの額だね。

本木そうそう、まあ、そのまま過ぎてって感じもあるんだけど。

田辺いやいや、凄く良いですよ。

本木まあこの「竪琴君」に良い部屋、見つかった!みたいな。

田辺この、こうした象徴的というかシンボリックなの良いね。

本木そう、で、真ん中だけ少し厚みがあって立体的になってる。

田辺珍しい額だね、よく探したね、こんな額。

きっとヨーロッパかなんかの額なのかな。

本木確かねー目黒川沿いの古い画材屋さんみたいなとこだったかな。

田辺あーあるある、ああいうとこね、わかる。

本木だったと思う。

田辺あ、そっか、じゃあこれ案外そういう昔の日本の絵のための額なのかもね。

でも、絵の大きさに対して額の大きさがちょうどいいし、良い額を見つけたよね、絵にとって額って大事だから。

なかなかね、巡り会いだもんね。

なんか、昔ヨーロッパ一緒に行った事あったよね、あれは確かスペインからずーっと南仏通って。

ダリのミュージアム見たり、あと、コリョールだったかな、フォービズム(野獣派)の発祥の地の港町行ったりとか。

本木あー、そうでしたね、あと、アルル!

田辺アルル、行ったね、ゴッホね、あと、アヴィニョンも行ったね。

本木そうでしたね。

田辺アヴィニョンはなんか成田山みたいなところだったね。(笑)

本木高速道路を、こういうの言っちゃあなんだけど、良太さん運転で140キロくらいで走ってた。

で、確か、スペインからフランスに入った時に、なんか、国境沿い辺りの簡単なレストランに入ったんだけど、もう、ガラッとパンが変わる?パンのクオリティーというかタイプが変わる?スペインの固めのパンから中フカフカのバゲットにみたいな。

田辺そうだったよね。

だから、なんかこのコクトーを巡る旅もそうだけど、ヨーロッパはアートの歴史のある国だから、そういった町を巡る旅って面白いよね。

そのままの町があったりとか、アルルだったらゴッホが描いたカフェがまだあったりとか、雰囲気がそのままだったりとか。

自分が紙とか写真とかでしか見ていなかったものが目の前にあるってなんか良いよね。

本木そうそう、よく、写真家の人の話とか、自分でも撮影でヨーロッパに行ったりするとそう感じるけど、光が違うって言いますよね。なんか、その場所その場所の光?もちろん日本には日本の空気を透かした光っていうのがあるように。

田辺そうかもしんないな。

本木そう、その、なんか、やっぱり観光って光を観に行くって書くじゃないですか。

田辺あーなるほどね、そうだよね。

本木まあ、抽象的ですけど、どこの場所に行っても、ある意味こう、光を観に行く?精神的に宿る光も含めて…。

で、たぶん、その光を見ていた人がそれをどう捉えて残したかというのが、まあ無理矢理言えばそれがアートの源みたいな感覚。

田辺そうだよね、やっぱ、印象派がね、出て来たのもヨーロッパ、あれも光を描くという、光の中に色んな色を見出すみたいな。

コクトーだって、これはたぶん、人間の孤独の中の光じゃないけど、人間性の中の闇と光を描くみたいのがあったと思う。

そういうものにやっぱ人は惹かれるのかもしれないね。

本木そう、コクトーは常に現実と非現実の間をなんかいたずらするみたいに矛盾と辻褄合わせを遊んでいる感じがした。

「僕自身、あるいは困難な存在」とか、評論のタイトルも独特。でも、なんとなく言葉の端々に、発見があるのが面白かった。

だって、コクトー曰く「芸術は肉をつけた科学だ」ですよ。

田辺なるほどね。

本木まあ、そんな旅もありで、その後、良太さんと出会って、ニューヨークで現代アートにも触れ始めるわけですよ。今はもうその記憶もかけらになっちゃってるけど。

本木雅弘(第2回)「ニューヨークの思い出やコンセプチャルアートの話。」

本木雅弘(第3回)「素朴なアートのパワー、日常がアートな話。」

竹村文宏「真空」

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白金のギャラリーコンプレックス1階にある児玉画廊にて竹村文宏の展覧会「真空」を見る。以前に彼の先品をグループ展かどこかで見かけて気になっていた作家だが、今回は個展という事でたっぷりと色々な作品を見る事ができた。キャンバスに盛り上がって装着された小さな造形物、建物、家具などが面白い。装着されたと言うか、画面から盛り上がって出て来たという方が適切な感じかもしれない。正面から見るとまるで地図を上から見ている感じ。しかし、造形物や道などが盛り上がっているので次の瞬間にはキャンバスの真横から凝視してその驚くべき様を思わずじっくりと観察してしまう。小さな鉄塔や観覧車、フリーウェイ?などなど、ミニチュアの世界を眺めているような不思議な感覚に陥る。これは絵画なのか彫刻なのか?新しいジャンルの飛び出す絵画?なのか。仕事がかなり細かいのも見ていて驚く。そして、引いて見てみると今度は抽象画としてそれなりの迫力があるし、色のセンスなども素晴らしい。こんなに細かな作業、大変だな、手が震えないかな?なんて勝手に思いながら楽しくこの飛び出す絵画の世界を眺められるのが面白かった。ジャクソン・ポロックのような絵の具のドリッピングでキャンバスに誕生した柄はそのままその地図上の湖となってその回りに街が形成されていたり、畑みたいな線があったり、発想とそれを見事に制御した中で繰り広げるところに作家のセンスの良さが光る。色もなんとも言えない良い感じで明度が同じだが色が違う2色の色を並べて使うことにより見るものを不思議な感覚に陥らせるような独特の色使いをしていたり、並ぶとコントラストが非常にきれいな2色の色を組み合わせたり、こちらもセンス良し。この作家は海外でも確実に受けるなあと思った。

パウル・クレーについて

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パウル・クレーは美術の教科書に必ず出てくるような有名なアーティストだ。だが、最初は彼のペインティングや水彩のような色物の作品しか知らず、それらには正直ピンと来なかった。その後、彼について知ったのも、例えば彼がバウハウスで教えていたとか、そんなところだった。はっきり言って今でも彼のアートの真髄みたいなものはよく分かっていない。非常に繊細でデリケートな感じはするし、他にない色彩感覚や画面の構成など彼独自の作風は分かる。決して派手な感じの作家ではなくて玄人受けするみたいな感じのアーティスト?みたいな気もする。そんな感じで捉えていた作家だが、彼が絵画以外にいったいどんな作品を制作していたのかも知りたくて作品集を買った。作品集の紙表紙を剥がすと黒の生地張りの本体に彼のシンプルな線画が白い線で刻印されていた。まるで子供の落書きか、殴り書きのようなシンプルで気まぐれな線で描かれたその絵はとても魅力的に見えた。作品集の中を見てみると色の作品はどれも今までの印象通りに僕には今ひとつ響かなかった。しかし、色の作品と同じかそれ以上の量で掲載されていた彼の線画はどれも凄く印象的で僕はすっかり魅了された。無垢、自由、ユーモア、皮肉、孤独、物語、そんな様々な要素がそのシンプルな線画からは溢れ出ていた。よく子供の描いたような絵と言うがそれがいったいどういう絵を指すのかは別にして、クレーの線画の数々は、子供の絵みたいだけど全然そうではない絵、みたいな不思議な絵なのだ。これは簡単に描いているようでいて、描こうと思ってもなかなか描けるもんではない、そう感じさせる絵だ。パウル・クレーがどういう風に評価され、何をした作家なのか、未だにそんなによく知らないけど、彼の線画に魅了されてからは凄く希有なアーティストとして彼を尊敬している。