月別アーカイブ: 2016年7月

横山拓也「運動とテクネー」展

7月20日から8月8日まで8/ART GALLERY/TOMIO KOYAMA GALLERYにて横山拓也「運動とテクネー」展が開催中だ。陶芸作品展というべきかオブジェ作品展というべきか。大皿や茶碗もあるが使うよりもむしろ見て楽しむべきオブジェ達という感じがする。大きな白い壷のような作品がギャラリーの奥に並んでいてその姿は圧巻だ。よく見ると壷の上部にわずかなアナが空いているからやはり壷なのだろうか、しかし、壷として機能するようには作られていない。焼物の既成概念に囚われていない自由奔放な作品表現が陶芸作品では納まりきれない広がりをそれぞれの作品に与えているようだ。また壷の白い磁器の表面の質感も独特で白の中にもグレーが混じっていたり様々な表情を見せている。茶碗のような作品にしてももちろん茶碗として茶の湯に使えるとは思うがそのいくつかは極限まで湾曲させて作られているので茶碗というよりもオブジェという方がしっくりくる気がする。異なった形や大きさのこれらの陶器の作品はまるで作られたというよりもそうなるべくしてなったような力強い姿で迫って来る。展覧会のタイトルに使われている「テクネー」とは「テクノロジー」の語源となるギリシャ語だそうで人間が自然の中に心理を発見し開示する技術を指すのだという。粘土に少しづつ変化を加えながら素材の持つ運動を連鎖させて形を見出す技術がこの作家の制作姿勢であるという意味が込められているのか。素材との共同作業で既にある形に辿り着く作業とでもいうのだろうか、そういった必然性の持つ説得力のような力を感じる作品である。静かなギャラリーで存在感十分な陶芸作品と対峙しながら色々と考えたり、または心を無にしてただ眺めるというのも面白いのではないかと思う。

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網膜で感じる「絵でしか表せない世界」

7月9日から8月6日まで白金のARATANIURANOギャラリーにて坂本夏子の展覧会「画家の網膜」が開催されている。デジタルを駆使したメディアアートなど様々な表現方法が現れる昨今だが自分は手で描かれた絵が好きだ。キャンバスなどに丹念に描かれた絵が一つの存在として好きなのである。そんな絵が好きな自分にとってこの展覧会、「画家の網膜」にはとても心惹かれた。坂本夏子さんは一貫して「絵でしか表せない世界」を描きたいと唱え続けて来たそうだ。絵画という世界でしか存在しない世界、絵という手法でしか表現出来ない作家が心で見た独自の世界。そんな風景を「絵でしか表せない世界」として描こうとしているのだろうか。この展覧会に寄せた作家のメモを読んでみるとその意図が分かって来る気がする。「わたしにとって絵とは、すでにあるイメージを表出するためのものではなく、未だ無い空間にふれるための方法なのです。」作品は日頃ノートに描くドローイングやメモ、落書きなどから生まれるそうだ。作家はそれらをキャンバスに向かって描くことで絵の世界と結びつけ描き進めながら絆を深めて行くのだ。例えばどんなに写実的な絵であってもそれは絵にであって現実ではない、作家の見た世界なのだ。この展覧会を見ながらそんな基本的なことに気づかされ改めて見たものを表現するという行為の不思議さを感じた。

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ignore your perspective 34 「風景の空間」

ignore your perspective 34 !

いつものものの見方を無視してみて見る?

児玉画廊にて8月12日までignore your perspective 34 「風景の空間」展が開催されている。これはシリーズ化されたグループ展で今回が34回目となる。個人的にはignore your perspectiveというタイトルが格好いいと思うがどう訳すべきなのか?perspectiveは物の見方や遠近法なんかも意味する。ignoreは無視するという意味だ。あなたの見方を無視する?つまりいつものものの見方を無視して見ろ!みたいな感じか。このグループ展、毎回掲げられる作品の制作テーマも面白いが参加する作家が毎回違うのも面白い。それぞれの作家がテーマに沿った制作作品を展示するのだが同じテーマでもこんなに違った作品になるのだといつも感心しつつ見てしまう。絵で表現する作家もいればオブジェで表現する作家、立体造形物で表現する作家など、表現の無限の可能性を垣間みれる。今回のグループ展のテーマは「風景の空間」だというがもちろんいわゆる風景や情景ではないそうだ。参加作家の1人の「風景の作家とそうでない作家がいる」という発言に端を発してこのテーマが掲げられたというが作品を作る制作上のベクトルが一本に収束している作家とそうでない作家がいるのだそうだ。一つの作品で何か沢山のことを言おうとしている、または結果として言えてしまっているような作家を「風景」の作家と定義する。ちょっと難しいけどようするに一つの作品で一つのことを語る作家と多くを同時に語る作家という2タイプいるというような意味か?そんなテーマ設定の裏話など読みつつ展示された作品を見て行くとなんとなくそれぞれに違った作品なのだがその作品には見る側に様々な感じ方や見方を与えるような制作意図があるように思えて来た。特に抽象的な作品は本当に見る人によって受け取るものは様々なのだと思う。いろんなアートがあっていろんな感じ方があるから面白いんだなあと思いつつ次回のグループ展のテーマにも期待したい!

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弁当箱にカラフルなウンチ!?会田誠の新作。

8月20日までMizuma Art Galleryにて会田誠の新作展が開催されている。何かと話題を提供する天才、会田誠だが、今回は抽象的な作品と聞き面白そうなのでオープニングに行った。「ランチボックス・ペインティング」シリーズと題された作品はコンビニやスーパーなどで売っている弁当の箱にカラフルな発砲ウレタンでウンチのような造形物が乗っかった奇妙な作品だ。こんな作品を大真面目に作って発表する人は会田誠しかいないだろうと思わず唸ってしまう。作家のステートメントシートが会場にあったので読むとこれがまた面白かった。遡ると2001年の横浜トリエンナーレの搬入作業で出された弁当を食べ終わって空き箱を見た時に限定された四角い枠や仕切りと配置などに絵画のアナロジー感じたこと。発砲ウレタンという材料をふんだんに垂れ流し状態で使うのは「もったいない精神」へのアンチテーゼがあること。また、絵の具に使ったターナーのアクリル・ガッシュは下の色を完全に隠蔽する「塗り絵」に適している点と日本の伝統色やパステル色、メタリックなど「趣味的」「邪道」な色が揃っている点などだとのこと。着想が面白過ぎて思わず笑ってしまったがもちろん本人はいたって真面目に考えてのことなのだろう。俗にいうタブーを打ち破るアートを作り続けて来た会田誠だが、今回もかなり衝撃的な作品を作ってしまった。ここまで来るとゴミもアートも区別はない訳だが実際にマルセル・デュシャンが便器を作品として発表した時点でアートの行き先は最終的にはこうなって来るということなのだろう。それにしてもどう見ても弁当箱に色々なカラフルなウンチが盛られている作品はアートのどの文脈に寄って語られるのか?これこそマージナル・アート(限界芸術)というものなのかもしれない。

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