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桐島ローランド(第二回):ブランドとしてのアート好きな日本人。では日本のアートはどうしたら変わるのか?変われるのか。そして、デジタル時代の到来について。

抽象的になるアートのコンセプト

桐島:日本のアートは悲しいよね、なんか相変わらずチープな感じで、美大生もいつもながらああいう貧乏臭いイメージがあるし。

田辺:こんだけね、経済大国なのに。世界で活躍しているアーティストが余りにも少ないし。

桐島:そうそう。
だから結局日本の企業も一時は会社が投資の目的でアートを買っていたくらいで、でも本当に好きで買っていたかって言うとそうでもないし、ブランドが好きじゃん、結局。だからあんな印象派に何十億もかけたりとかさ、してたけど、なんかやっぱりもったいないことに日本には良いパトロンがいないですよね。

田辺:そうだね。

桐島:自分の目を信じて、こいつを育ててやろうってくらいの人は本当に少ない。俺も何人か知ってるけど本当にその何人かしかいないって感じ。大林組の大林さんなんかもそうだけど、彼の場合は若いアーティストのパトロンになってやろうって意識があるけど、そういう人って本当少なくって。

田辺:狭いサークルで回っているってだけって感じだよね。

桐島:そうそう、凄い狭い。そう。

田辺:そうだよね。

桐島:まあ、小柳さんなんかもそうかもしれないし。でもブランドが好きだよね、相変わらず。最近話題になったほら、何だっけオンラインブランドの。。

田辺:あーZOZOのこと?

桐島:そうそう、バスキア買ったじゃん。

田辺:まあ60億くらいで買ったやつね。

桐島:まあ、本人が好きで買ったんなら良いけどさ。

田辺:まあ、相当にせり上げられて買わされたと思うよ。

桐島:あれはちょっとどうかな。申し訳ないけど。

田辺:まあ、俺は思うけど日本でそういうアートを買える力のある人も結局、じゃあ若手で誰を買おうかっていうのが分かんないと思うんだよね。だからそういう部分も整理されなきゃいけないんだけど、やっぱり日本の美術関係者っていうのがさっき言ったように狭い中で回ってるから一般的にならない?だからお金持ってる人はいっぱいいると思うんだけど違うことにお金使ってる。

桐島:まあ、確かに分からないよね。俺もだって、自分が良いと思ってもね。昔良太が描いてくれた絵とか俺は好きだったし。

田辺:おお、ありがとう。

桐島:あれを家に飾ってたし、別にそれで良いじゃん。だって、じゃあ良太がスーパースターになってくれたらそれはそれで嬉しいけど、そうでなかろうが別に自分が良いと思って飾ればそれでいいわけで、自分の写真もそういうもんだと思うし、誰かが飾ってくれたら嬉しいし。別に俺のネームバリューとか関係ないじゃん。

田辺:うんうん。

桐島:だけど、ブランドが先に走っちゃってるっていうのがある。まあ日本はブランドが好きなんですよ。

田辺:そうだね。

桐島:そういう国民性でそれはしょうがないと思う。別にそれは否定しないし、職人が好きだっていうのも否定しないし、俺もテクニカルなものは嫌いじゃないから。やっぱりこれはちゃんと綺麗に描けてるなとか、ちゃんとしたバックボーンがあるなとか、ベーシックがちゃんと出来てるっていうのがそういうのが嫌いじゃないから。

田辺:うんうん。

桐島:ただ、やっぱり時代の流れはそういう絵を描く人だけがアーティストな訳じゃないから、写真家もアーティストだし、映像作家もアーティストだし、題材がアートだからどっちかというと。だから基本的にはコンセプト。ただそのコンセプトが今凄く抽象的になってて解釈の仕方も自由になった。でも分からない人には分からない。とはいえアートってトレンドがあるからある程度の。印象派だって一つのトレンドだった訳じゃないですか。ポストモダンがあって、そういう時代があって今はそのトレンドの幅があまりにも広くなり過ぎちゃって今はもう何がなんだか分からなくなってきてると思うんですよ。

田辺:うん、そうだね。

桐島:だからそういう意味じゃ非常に難しいと思う。別に俺たちみたいにアートの歴史が分かってた人間からしても、じゃあ次のバスキアはこの人だって言い切れないだろうし。

田辺:そうだね。

桐島:あれもだから運だよね。たまたま。

田辺:そうだね。まあ時代的に最後かなって思うのは最近デジタルが主流になってきて、いろんなところでいろんな人が発信をする?っていうと、アーティストの発信と一般の発信が何が違うのかっていいうのも曖昧になってきているし。

桐島:そう!

田辺:ますます線を引くのが難しくなってきているのかな。

桐島:そう、だからもう結局やったもん勝ちと話題になったもん勝ちって時代になってきてる。確かになってる。

田辺:それはあるね。

桐島:でもしょうがないと思う、それはもう。だからキックスターターみたいのもあればユーチューブみたいのもあって、アーティストが自分を発信する場はいくらでもあるから、昔みたいな言い訳ももう出来ないよね。だから、ギャラリーのオーナーに認められないと俺はブレイク出来ないってことでもないし、そういう意味では誰にでもチャンスはある。世界中の誰にでも世界的なアーティストになれる可能性がない訳じゃないから。

田辺:自分のメディアで発信出来るんだものね。

桐島:そう。そういう意味では、例えばミュージシャンでもいえることじゃないかな。映像作家でもなんでもいえることだけど、正直言い分けが出来にくい環境にはなってる。

田辺:なるほどね。なんか、さっき言っていた今はなんでもありっていうのがあるんだけど、俺はコンセプチャルアートが主流になって以降、なんでもアートになり得るってことになっちゃったけど、やっぱり心に響くっていうのが大事かな。説明されて分かるとか、コンセプトを理解しないと分からないとかじゃなくてやっぱパッと見てパッと感じるのが必要かな。

桐島:そうなんだよね。

田辺:そこが大事かなって思っていて、それはまあ俺がそうなだけでそうでないアートを否定している訳ではないんだけど、分かるんだけど、心に響くかが一つの境界線みたいな?どうですか?

桐島:いや、全くその通りだと思いますよ。だからパーソナルなものだと思うんですよ。万人受けするアートなんてあったらおかしいと思うんですよ。

田辺:うんうん。

桐島:だって人それぞれ、だからそこはしょうがないじゃん。皆さん各自の領域がある訳だから。ようするにそこをくすぐるものかそうじゃないのかによって良いものか悪いものかになる訳だから。もちろんマスに受け入れられたもので素晴らしいものもいっぱいあると思うし。ただ、やっぱり20世紀になってから基本的にはもうコンセプチャルだから。そういうものは何と言うか難しいですよね。

田辺:そうなんだよね、だから専門家のため?ART FOR ART SAKEって良くいうじゃないですか。

桐島:そうそう!

田辺:だからなんかアートのためのアートになっちゃってて、人を寄せ付けないみたいな。

桐島:今のチャイニーズアートなんてまさにそればっかだよね。もうなんか、鼻につくものの方がどっちかっていうと多いよね。なんか、狙い過ぎ!みたいな。

田辺:そうだよね。

桐島:だけどやっぱりやそれは人それぞれだと思う。俺からしたらくどいって思うものがある人にとってはちょうどいいっていう。

写真は終った?

田辺:写真も最近凄い値段が上がっちゃってもうある意味写真というモノの価値?だってはっきり言ったらデジタルデータがあれば何万枚でも作れちゃう訳だけど、プリントの良さだとか、そういうモノとしての写真の良さに人が価値を見出して行くっていう感じなのかなって思うんだけど。

桐島:もう俺は写真は終ったと思う。

田辺:あ~

桐島:ようするに、たぶん90年代までで、もうデジタルの写真になってからはアートじゃないと思う。

田辺:うん、なるほどね。

桐島:もちろん今あの写真あるじゃん、あのでかくて細かい人がいっぱい写ってるようなやつ。

田辺:ああ、アンドレアス・グルスキーね。

桐島:そうそう、グルスキーなんか俺全然良いと思わないし。あれだってCG加工してるじゃん。写真じゃないから。

田辺:そうだよね。

桐島:やっぱり、ナン・ゴールディンとかシンディー・シャーマンとか、あそこら辺が最後の写真であそこら変だよね、異常に値段が上がってるのは。

田辺:そうだね。

桐島:だからもう、例えば森山大道の新宿なんてもうああいう人もいないじゃん。今の新宿に行っても。今新宿行って写真撮っても写真じゃないんですよ。スナップなんですよ。

田辺:なるほどね。

桐島:そう、だからアートにならないんですよ。だからある意味リチャード・プリンスがそこで捻ってインスタの誰が撮ったか分からないのをアートにしちゃってるけど。

田辺:しちゃったね。

桐島:もうそういう時代だと思うんですよね。もう、なんか結局ブランドとしてのアートっていうかな、ブランドだよね。だから写真も同じでたぶん90年代くらいまでのものは作品として価値が上がると思うけどそれ以降のものってもう写真じゃないんだもん。

田辺:そうだよね。

桐島:だから難しいと思いますよ。だから俺も写真は本当に終ったな~って思う。メディアとしては。そりゃあもうみんな言ってますよね。あのニック・ナイトも最近そういうこと言ってたけど。

田辺:あ~そうだよね。

桐島:そうそう、だから本当に彼の言ってる通りだし。あとなんか時代がそういう意味では面白さがないって言ったら変だけど、まあ、これからまた面白くなる可能性もあるし。でも戦争の写真とかドキュメントな写真でさえなんかアートフィッシャルに見えてきちゃう。だって今なんてナショナル・ジオグラフィーで撮ってる人とかでも自分でデジタル加工してる訳だから。もう写真じゃないんですよ、だって、アングル変えれちゃうんだもん。

田辺:そうだよね。

桐島:ここの手が邪魔だからちょっと消しちゃえとかさ。そういうのをドキュメントな写真のフォトジャーナリストが平気でやっちゃう時代だから。

田辺:リタッチとかしちゃったりね。

桐島:そうなんですよ、もうだからそういう意味ではその写真っていう昔撮れた偶然の瞬間というか、もちろんデジタルでも偶然は撮れるんだけど、もう信憑性がなくなったし、それだけじゃなくて、昔の人間ってやっぱり背景が面白かった訳じゃない。

田辺:うんうん。

桐島:やっぱり70年代の新宿はもうない訳だから。

田辺:ないね~

桐島:そう、だからあの時そんな狙いでも何でもなく撮ってたと思うんですよ。今ゴールデン街に行って写真撮ったらそれって狙ってるじゃん、なんか。

田辺:そうだね。リアルじゃないよね。

桐島:見せ物にしようとしてるだけなんだもん。

田辺:なるほどね

桐島:アヴェドンとかはもちろんアメリカンウェストって言うのがあれは見世物小屋だってクレームもあるけどでもあれは70年代のアメリカのドキュメントでもある訳じゃん。

田辺:そうだね。

桐島:そういう意味ではあれを越すものはないと思うし。

田辺:それじゃあ、アートとして存在していた写真っていうのはもうノスタルジックな中にある?

桐島:写真はそうだよね、今アヴェドンと全く同じことやって世界のフリークを売店で撮ってさ、どんなに綺麗にプリントしても別にって感じになっちゃうと思う。

田辺:なるほどね。

桐島:やっぱりもう時代が時代なんだよね。そう思わない?なんか。だって今はフェイスブックとかでいくらでも凄い写真あるじゃん!

田辺:ある!

桐島:もう本当に凄いよね、毎日のように誰かがタイムラインに凄い作品をアップするんだけどパッと見てあ、凄い!で終っちゃうのよ。

田辺:そうだね。

桐島:昔だったら苦労して写真見て、写真集とか買ってそれが宝になるじゃない。だから宝って本当になくなってきたなって思う。ただ、本当はあるんですよ、いくらでも、いくらでもあるんだけどその形がまた様々で。インスタレーションにしたって壁に飾れるようなものじゃなくなってるし。

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