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パウル・クレーについて

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パウル・クレーは美術の教科書に必ず出てくるような有名なアーティストだ。だが、最初は彼のペインティングや水彩のような色物の作品しか知らず、それらには正直ピンと来なかった。その後、彼について知ったのも、例えば彼がバウハウスで教えていたとか、そんなところだった。はっきり言って今でも彼のアートの真髄みたいなものはよく分かっていない。非常に繊細でデリケートな感じはするし、他にない色彩感覚や画面の構成など彼独自の作風は分かる。決して派手な感じの作家ではなくて玄人受けするみたいな感じのアーティスト?みたいな気もする。そんな感じで捉えていた作家だが、彼が絵画以外にいったいどんな作品を制作していたのかも知りたくて作品集を買った。作品集の紙表紙を剥がすと黒の生地張りの本体に彼のシンプルな線画が白い線で刻印されていた。まるで子供の落書きか、殴り書きのようなシンプルで気まぐれな線で描かれたその絵はとても魅力的に見えた。作品集の中を見てみると色の作品はどれも今までの印象通りに僕には今ひとつ響かなかった。しかし、色の作品と同じかそれ以上の量で掲載されていた彼の線画はどれも凄く印象的で僕はすっかり魅了された。無垢、自由、ユーモア、皮肉、孤独、物語、そんな様々な要素がそのシンプルな線画からは溢れ出ていた。よく子供の描いたような絵と言うがそれがいったいどういう絵を指すのかは別にして、クレーの線画の数々は、子供の絵みたいだけど全然そうではない絵、みたいな不思議な絵なのだ。これは簡単に描いているようでいて、描こうと思ってもなかなか描けるもんではない、そう感じさせる絵だ。パウル・クレーがどういう風に評価され、何をした作家なのか、未だにそんなによく知らないけど、彼の線画に魅了されてからは凄く希有なアーティストとして彼を尊敬している。

OVERGROWTH

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最近なにかと話題になるポートランド。自然とプレヒッピーカルチャーが融合した街からはエースホテルやストンプタウンコーヒーなど発信される話題がつきない。そのポートランド発の雑誌、kinfolkは最近になって日本版も出たが独特のセンスが光る雑誌だ。その雑誌の写真をほとんど手がけていると言っても過言ではないのが写真家のパーカーフィッツジェラルド氏だが、今回彼とフラワーアーティストで恋人(?)のライリーさんがいくつかのイベントと展覧会のために来日した。イベントは伊勢丹で行われたポートランド展への参加でこちらのアート展は設営をお手伝いした。そんな事もありパーカーさんとすっかり友達になってしまったが、彼の写真もとても好きになり1点記念に買おうと思っている。今回は伊勢丹の他に東京のロケットギャラリー、大阪のトラックなどで展覧会をするのだが、ロケットギャラリーのオープニングにお邪魔した。OVERGROWTH(育ち過ぎ)というタイトルの展覧会だが、意外にもパーカーさんにとって写真展をするのは初めてとの事。今回、この展覧会になったOVERGROWTHとはモデルと花を不思議に組み合わせてクリエーティブな写真を撮影するというパーカーさんとフラワーアーティストのライリーさんとの共同プロジェクトだ。発想、センス、撮影技術、プリントの仕上がり、すべて素晴らしく、またどこかに素朴さが感じられる作品群となっている。ギャラリーオープニングにはパーカーさんライリーさんはもちろん、ストンプタウンコーヒーの日本担当の大介さんも来た。そして、沢山のパーカーさんファンが来たのだがキンフォークという雑誌で彼は既に日本にも写真のファンを持っている事に少し驚いた。メディアも結構来ていたようなので今後も雑誌などで紹介されるだろう。今回の来日以降、パーカーさんの写真の日本での販売を頼まれたので興味のある方は是非チェックしてください!そのうち販売用のページをオープンします。

税官史ルソーについて

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2013年9月14日から11月10日まで世田谷美術館でアンリ・ルソーと素朴派やアウトサイダー達の作品展が開催されている。面白い企画なので是非お勧めします。ルソーの絵は中学の美術の教科書なんかに絶対にある絵のひとつで、僕の時は砂漠で眠るジプシーになぜかライオンが接近している不思議な絵があったのを覚えている。その後、この絵の本物にニューヨーク近代美術館(MOMA)で出会うのだが写真で車いすの方が見入っているようにとても人気のある絵だ。もう一枚、MOMAにはジャングルの絵もある。ルソーで有名なのがこうしたジャングルとか異国の不思議な情景を表した絵で、眺めていると独特の世界に迷い込めるような魅力がある。パリの入市税関に20年以上務めていたルソーは「税官史ルソー」とも呼ばれそのファンは多い。ピカソもルソーの作品をコレクションしていた。幻想的というか夢の世界というか、彼の描く異国は実際には彼の頭の中以外どこにも存在しない。日々異国からパリに入って来るエキゾチックで不思議な品々を税官史として見て来た彼は、その「不思議なもの」に異国に行った人から聞いた話などを織り交ぜて想像上の異国に思いを馳せて絵にしたのだ。かなり適当に都合良く想像されて作り上げられたこのルソーの異国はそれ故にとても魅力的で彼独自の幻想的な世界を確立している。ルソーを語る時、その絵画の手法も重要だが、世田谷美術館での展示がいわゆる素朴派やアウトサイダー達と共に語られるようにルソーは素朴派というような位置付けの作家になっているのだろう。正式な絵画の教育を受けず、いわゆる独学で描いたような作家はヨーロッパでは画家としては正式に認められることはなかったのかもしれない。日本でもそうだが画家になるには画壇に所属して誰それの弟子になってというようなしきたりみたいのが強い世界なのだろう。ルソーは独学であり言ってしまえば日曜画家である。絵は趣味の域というようなスタンスの作家と同じといえる。しかし、彼自身はかなりの歳になってから趣味的に独学で絵を始めたにもかかわらず、自分は相当凄い画家だと豪語していたと聞いた事がある。そして時代が過ぎてみれば彼は正しかった。ルソーは美術館に蒐集される程の凄い画家だったのだ。彼の魅力的な絵は一度見たら忘れない何かを持っているしテクニックだって素朴とか独学とか言われても僕はたまらなく好きだ。ジャングルを写実的に描ける画家はきっと五万といるがルソーのジャングルは彼にしか描けない。好きなものを好きなように描く。それが一番自分にとってのうまい絵なのだ。学生だった頃に絵に点数をつけるのはおかしい気がしていた。教育の科目になっている時点で他と差の出る何らかの評価をしなければならないとはいえ、根本的にはおかしな話である。ルソーは自分は偉大な画家であると豪語して毎週日曜日にコツコツと想像のジャングルを楽しみながら描いていたに違いない。「どんな絵でも点数つけるならすべて百点満天!」きっとルソーだったらそう言うような気がする。

泉啓司「骨まで毛だらけ」

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白金にあるARATANIURANOギャラリーにて泉啓司の展覧会を見る。「骨まで毛だらけ」という面白いタイトルに負けないくらいに面白い木彫の作品群。相当な精度で削られた木彫は「これ全部木ですか?」と疑いたくなる程の出来映えだ。着色も施されているので結構リアルで思わず接近してジロジロと見入ってしまう。いったいこのユーモラスな彫刻はどこからアイデアが湧き出てこうなるのか。人物の鼻の穴からは絶対になんか吹き出ている。オクトプラズム?煙?なんにせよ、しばらく眺めていると思わずぷっと吹き出してしまうような作品。にらめっこに負けたような、そんな気分になる。それ以外にも何かが吹き出たり渦巻いたり、アニメちっくな動きのエフェクトが作品にダイナミックさとユーモアを混在させる。それにしてもここまでバカバカしい彫刻作品を素晴らしい木工、木彫の技術で表現されると見応えはある。ある意味これは「木の匠の仕事」みたいな凄みさえ感じた。こんな作品があるお部屋っていうのも想像しにくいけど、壁にこういう顔があったら仕事で疲れてかえって来てふと癒されるような気もする。「思いっきり真面目にふざけようよ!」みたいな意気込みが伝わるけど、それを実現するには基本的に確かな技術力の裏打ちがないと「すべる」可能性がある。相当な用意と勇気と自信がないと出来ない技だと思った。

髙石 晃「シャンポリオンのような人」

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白金の児玉画廊にて開催された高石晃の展覧会「シャンポリオンのような人」を見る。シャンポリオンのような人ということで、シャンポリオンとはどういう人なのか早速ウィキペディアで調べてみると。「ジャン=フランソワ・シャンポリオン(Jean-François Champollion、1790年12月23日 – 1832年3月4日)は、フランスの古代エジプト学の研究者。ロゼッタ・ストーンを解読し、ヒエログリフ(古代エジプト象形文字)を解明したことで知られ、「古代エジプト学の父」と言われている。」とある。なるほど、この人みたいな人の事?なのか。古代エジプト学の研究者で、あのロゼッタストーンを解明したとは!ロゼッタストーンは昔大英博物館で見た事あるけどもの凄い文字がいっぱいで、あれを解明したってかなり凄い人だ。話を高石晃の展覧会に戻すと、彼の絵を見ていると確かに謎めいた記号のような線が絵の中心に登場する。階段や床に展開する「何か」の中心には、まるで解明される事を必要としているかのような形の線(または記号、文字)があるのだ。聞いたところでは、まず最初にこの気まぐれな線のようなものをキャンバスに描いてから回りの背景を描き込むという制作行程らしく、この気まぐれな線は絵の雰囲気やトーンを決める最初の一歩的なイメージになっているのだろう。普通は背景を描いてから中心の最も重要な意味合いの物へと移行する制作過程がここでは真逆になっていて面白い。絵の色使いも独特だが、どことなく日本人的な色使いではないと思った。そういえば昔、中学校の絵のクラスなんかで自称「絵が苦手な人」が「何を描いたら良いか分からない」とか、「絵が下手なので恥ずかしいから描きたくない」とか言っているのを耳にした記憶がある。しかし絵の世界においては「何を描いても全然かまわない」し、「下手でも全然かまわない」のだと思う。世の中には色々と「うまくやらねばならない」事が多い。大人になると余計にそれは暗黙に要求されるような気がする。字をうまく書けた方が良いとか、お行儀よくしなきゃならないみたいな事は大人になるためにしなくてはならないことなのだ。でも、絵を描くという行為ほどそういった規制から一切解放されている行為はないと思う。絵は「うまく描こう」とか、「きれいに描こう」みたいなことをまったく気にせずに描かれるべきものなのだ。絵を描くという行為はまったくの自由であり、本人の勝手であり、世の中にはびこる一切のしがらみや約束に縛られる必要のない数少ない行為だと思う。でも、最も簡単なはずのそれがなぜか難しい。自分を解放するために描いてるつもりが「下手だなあ」とか思ってどんどん萎縮していって、つまらなくなる。楽しくなくなる。日頃から心を解き放つ事に慣れていないというか、普段はああすべき、こうすべきってことが多いから絵でもそうなっちゃうのだろうか。大分話が脱線しましたがようするに高石晃の展覧会を見て思った事のひとつは「自由に描く事の大切さ」みたいな基本的なことだったのです。子供の絵がなぜ素晴らしいかといえばそれは好きなように描いているからでうまく描こうみたいな外からどう見られるかをまったく気にせず描けるからだと思うのですが、大人になるとなぜかそれが難しくなる。

ピカソについて

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ピカソの絵が好きだ!そういう人がこの世には実に多いから彼の絵は何億円もするのだが、もちろん僕にはそんなの買えないのでもっぱら美術館で実物を見て感心するばかりだ。

 

初めてニューヨークに行った時、まだゲルニカがニューヨーク近代美術館にあったのを覚えている。その何年か後にスペインのプラド美術館に返還されたのだが、僕はラッキーにもニューヨークでゲルニカを見れたのだ。しかし、せっかく見たはずなのにあまりはっきりとその時の気持ちなんかを思い出せない。もしかしたら「なんだ、思ったよりも小さいなあ」とか感じたりしたのかもしれない。教科書や本で見ていて思い入れだけが先走り的にふくれあがってしまった作品の実物をいざ見るとなぜかがっかりしてしまう事ってありますよね。僕にとってはモナリザがその代表格で上野の美術館に来た時に長蛇の列を並んで中に入ってほんの一瞬、通り過ぎるように見たモナリザは思ったより小さくてがっかりした。

 

しかし、モナリザは描かれた時からずっと同じサイズだった訳で、思ったよりも小さいというのは僕の勝手な思い込みでしかない。(だが、かつてナポレオンがモナリザを所有していた時に、自分のお気に入りの額に納めるために端を切ったという話を聞いた事があるのでもしそれが本当なら昔は今よりは少し大きかったのかも)とにかく、せっかくゲルニカを見たはずなのに記憶の中の印象が薄いので残念です。

 

それとは対照的に印象バッチリのピカソもあって、それがこの写真で沢山の人に囲まれているアヴィニョンの娘たちだ。ニューヨーク近代美術館の宝と言っても良いほどの名作はピカソが現代絵画の夜明けを告げるかのごとくに描き、新しい絵画表現として打ち立てた金字塔的な作品。しかし、最初はこの作品の意味を誰も分からず、ピカソが画家仲間に見せても馬鹿にされたり無視されたというから面白い。

 

ニューヨーク近代美術館には、中学校の美術の教科書で見た事あります!というような作品がごろごろしているが、このアヴィニョンの娘たちもそのひとつ。そして、この絵に関しては最初に見た時に思ったよりも大きくてちょっと感動したし、今でもニューヨークに行くと必ず見に行くピカソの作品です。この絵がいかに素晴らしいのかなんて語るつもりは全然ないし、語れもしないですが、とにかく僕はこの絵の発する存在感や存在力?的な何かに凄く惹かれるので毎回この絵の前に立ってしばらくじーっと眺めるのが好きなのだ。

 

ピカソといえばその生涯を通じて信じがたいほど膨大な数の作品を制作した事で有名だが、絵画や彫刻、陶芸など実に様々なジャンルで作品を残している。ピカソの凄いのはどのジャンルであっても彼にしか作れないオリジナリティー溢れる作品を作り出し続けた事であり、その無限の創造力は半端ではない。また、数多い恋愛遍歴も全て制作のエネルギーとなったし、決してきれいごとじゃない人間味溢れる生涯において人間臭い作品を作り続けた天才だった。絵を志したらピカソに影響を受けない画家はいないと思うし皆どこかで1度や2度ピカソに打ちひしがれる。「子供は絵の天才だが、問題はいかにしてそのまま大人になるかである」ピカソの名言はそのまま彼の偉大さを物語るようだ。

 

ELM 15 

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ヒロ杉山さん率いるエンライントメントはグラフィックデザインからミュージックビデオ、アートまで幅広い活動を続けて来た。
そのエンライントメントが今年で設立15週年となり原宿のGYROで回顧展?のような展覧会、ELM 15を開催。会場には過去の様々な作品が展示されていたが、懐かしい作品もあり、初めて見る物もありでとても楽しい。バナーのように過去のグラフィック作品が天井から吊り下がっていたり、ミュージックビデをも見る事が出来た。ヒロさんはアーティストとしてhiromi yoshii Galleryにて斬新な試みの作品を数多く発表して来たがそれらも一部を見る事が出来た。様々な仕事の足跡を垣間見ると、ヒロさんがとにかくデザインやアートが大好きなのが非常によく分かる。15年前というとちょうどマックが一般にも普及し始めてデジタル作品が流行り始めた頃で、エンライントメントはその新しいコンピューターによるデザインとアートの表現を牽引して来たトップランナーといえる。その後に続く多くの若者に多大な影響を与えたのは言うまでもないが、これからも影響を与え続けるに違いない。最近はアーティストをキュレーションしてシルク作品を作らせ、エデッィションを低価格で販売するなどのプロデュース業の方でも活動をしているが、アートを若者にも普及させたいという願いが強くあるのだと話してくれた。ヒロさんの作品は全て大好きだが特に好きなのは写真をデジタルで再現した緻密な作品で遠目には写真のようでも近くで見ると色や陰影が小さなレイヤーのように区分されてひとつのイメージを作り上げているというもの。会場にも何点か展示されていたけど特に凄いのはフクロウの絵で何度見ても驚かされる。人間の見る物はスムーズに見えても実際は細かな色や光の集積で成り立っているというのをリアルに感じさせてくれるような作品だ。それにしてもデザインやアートにとってコンピューターの出現とはちょうどウェッブの出現で我々のコミュニケーション方法が革命的に変化したのに匹敵すると思う。そして数々の新たなアプリケーションは今も表現の可能性と領域を広げ続けている。時々思うんだけど、もしもピカソにマックを与えたらいったいどんな作品を作るのだろうか?もしくはウォーホールがマックを使っていたらどんな事をしただろう。その昔、絵の具のチューブが開発された事で画家が絵の具を外に持ち歩けるようになった事が印象派を生んだという話を聞いた事があるが、テクノロジーの進化と表現は常に密接な関係にある。だけど、もしもタイムマシンがあったらマックを過去に持って行ってダヴィンチとかミケランジェロみたいな偉大な芸術家に使わせてみたいなあ。

NeoSilk展

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グラフィックデザイナーでありアーティストでもあるヒロ杉山さんがキューレーションした15人の作家達によるシルクスクリーンの作品展が開催された。様々なアーティストやデザイナーが参加してそれぞれ独自の作品を仕上げている。作品は全て同じ大きさだが、よく見るとシルクの印刷にキラキラ光るピグメントなども使われていて凄く贅沢。でも、価格はなんと3万円!ヒロさんに話を聞くと本当はその倍以上の原価になる予定だったのだが値切りまくって拝み倒して3万円で制作してもらったそうです。見た目は3万じゃあ安過ぎる感じだが、ヒロさん曰くそこがポイントで3万以上だとどう頑張っても若者には手が出ないと思ったのだそうだ。ヒロさんとしてはこれは平成の浮世絵プロジェクトと位置ずけしていて価格が手が届く物であるのは大事な要因とのこと。また、大きさも考えた結果、この大きさが大き過ぎず小さ過ぎずのパーフェクトな大きさだと判断して決めたそうです。それにしても素晴らしい企画で、アートを近くに感じられる物として普及させたいと思っている自分としても凄く励みにもなるし、参考になった企画展だった。これだけ沢山の人気作家の作品展という事もあってオープニングには沢山の人が押し寄せてワイワイと活気があって楽しかった。アートを普及させるのは日本ではとても大変だけど、少しづつ頑張って変えていかなければなあとしみじみ思いました。それにしてもアーティストが頑張って企画展やるんじゃなくてそういうプロがもっと増えて欲しいものです。海外だとアートをビジネスにしてやろうというキュレーターみたいな人が沢山いてアートがビジネスになっているのに日本はそういうシステムがほとんどない状態なのは悲しい現実ではある。学芸員とかああいう古い感じの呼び名からまず変えなきゃならないのではないか、余計なお世話だが。

3大アーティスト夢のコラボレーション!

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1980年代のニューヨークのアートシーンはとにかく面白かった。ウォーホールはまだ健在だったし、バスキアのような天才が現れたり、キース・へリングがグラフィティーを有名にしたり。また、この時代には具象と抽象を行き来するようなインパクトのある表現のペインターが沢山出現した、ジュリアン・シュナーベル、デビッド・サーレ、エリック・フィッシェルなど切りがないがフランチェスコ・クレメンテもそういった新しいペインターの一人だ。また、80年代はナイトライフが最後の盛り上がりを見せた時代でもあり14丁目にはパラディアムという日本武道館程もある巨大なナイトクラブがオープン。連日大量の人がそのオオバコを埋め尽くしてぶっ飛びながら踊っていた。そのパラディアムには時代を反映するかのように多くの本物のアートが施してあった。入り口の階段の壁にはフランチェスコ・クレメンテのフレスコ画が描かれ、巨大なバーのあるマイケル・トッドルームという部屋の壁面にはバスキアが壁画を描いていた。踊り場で踊っていると舞台装置みたいに上から仕切が定期的に下りてくるがその絵柄はキース・へリングだった。また、地下の電話とトイレのあるエリアは当時人気だったケニー・シャーフが担当。電話機にゴムの蛇やらトカゲを接着してサイケに色を塗りたくり電話機をまるでアートのオブジェと化していた。そんな時代を象徴するアーティストのウォーホルとバスキア、クレメンテの3人がコラボして制作した作品集がこのCOLLABORATIONS  WARHOL・BASQUIAT・CLEMENTEだ。なんとも贅沢なコラボレーションだが、この頃はウォーホールとバスキア2人のコラボも話題になった。その後、バスキアはドラッグのオバードースで他界し、ウォホールも入院先の病院の医療ミスで亡き人となる。クレメンテは今も健在でアーティスト活動をしていると思うが今から約30年前の1980年代、「80’s」と呼ばれた時代にこの三人はまさに時の人であったのだ。「80’s」が実現させた夢のコラボレーションは懐かしくもあるが、もうあんな時代は2度と来ないと思うとどこか切なくもなる。やがて、クラブカルチャーの終焉と共に取り壊されたパラディアムだが、壁にあったあれらの絵はいったいどうなったのだろうか。きっと誰かが大切に切り取ってコレクションしているに違いない。バスキアが亡くなってすぐに大型トラックがバスキアのアパートにやって来て絵から家具から灰皿まで全て持ち去ったという話を聞いた覚えがある。アートはNYにおいて膨大な金を生むビジネスであり、売れるものやコレクション出来るものは作品だけではないのである。

フミヤさんにとってのアートとは?(第2回)

最近買ったアートは?

田辺ところで、作品を買う時には家の雰囲気に合わせてとか、テーマがあるの?

フミヤテーマはあまり考えないかな。 その作品が好きかどうか。 でも、ここに掛ける作品をずっと探してるみたいな時もたまにあるかな。

田辺そういうので見つけた作品とかあるの?

フミヤそうだね、絵じゃないけど、この間スタジオになにか掛けたいなと思ってた時にオノ・ヨーコとジョン・レノンのWAR IS OVERの運動やってた時に配ったチラシというかハガキ?そのハガキが売ってたから、オリジナルが、それを買ったな。 あれもプリントといえばプリントだよね。 エディションなんか分からないけど。

田辺それは歴史的な価値があるよ。 一番最近買ったのがそれ?

フミヤ最近買ったのは、ロートレックの版画だね。

田辺えーまたこれは、印象派ですか!

フミヤ印象派!印象派嫌いじゃないよ!でも、絶対に絵画には手が出ないから。 MOMAとかに入るもんだからね。 でも、だからロートレックの版画が一個くらいあっても良いかなって思ったんだよ。

田辺じゃあ、その辺の後期印象派みたいなヨーロッパの作家作品もいくつか持ってる?

フミヤそう、ルノワールとピカソとロートレックかな。

フミヤさんのアートはどうなっていく?

田辺じゃあ、最後に、以前フミアートをずっとやっていて、最近はやっていないけど、まあファンにはカレンダーやったりアートをやっているけど、将来的にはどうですかアートをやる気はありますか?

フミヤうーん、もう大それた考えみたいのは全くなくて、趣味だね。最終的には自分で描くのは筆かペンのみになると思うね。 デザインとかコンピューターでやったりもするけど、最近は手描きのものをTシャツにするとかも多いんで、なんか、手描きが面白いね。 コンピューター使ってた方が楽な時もあるけど、やっぱり、手描きだね。趣味的に、55過ぎとかになったらまたやるんじゃないかな。

田辺余生の趣味?

フミヤそうそう!余生に趣味として!それでね、なんか、ちょっと発表出来たらいいね。

もう一度、フミヤさんにとって、アートとは?

田辺最初にアートとは?って聞いたけど、 フミヤにとってアートとは何ですか?

フミヤそうだね、まず完全に生活して行く上ではいらないものって言えばいらないものなんだよね。 衣食住が整った上じゃん、音楽にしてもアートにしても。 だからまず心に余裕がないと見ないというか、でも、かき立てられるものはあるね、アートを見ると。 物を作る人間にとっては特に。。

田辺刺激を受ける?

フミヤ刺激を受けるね。 あと、変な話だけど、普通のレストランとかにでも、1枚凄い絵が壁に掛かってるとそいつがめちゃくちゃ主張するじゃん。 それが、店自体の記憶にもなるし。そういうパワーはあるね。でも、意外とレストランの人はそういうの気が付かなくて、埃がたまるからとかいって飾らないですよとか言うけど、全然違うのにな~とか思う。

田辺海外のお店の方がそういう点アートを壁に掛けてる?

フミヤ海外は掛けてるよね、だから、家でもそういう事は言えると思う。 思うけど、海外に比べて日本人に欠けてるものは実はそこだよね。 アメリカに行くとコストコみたいなスーパーにさえアートが売ってるじゃん。 3000円くらいでオイルペインティングってやつが。笑

田辺確かに売ってるね。

フミヤそれで、リフォームされた家みたいの見に行くと壁にアートがいっぱい掛かってる。 それぞれの部屋に。セットみたいに。で、その部屋の雰囲気がモダンになってるじゃん。 そういうものが本当に3000円とかから買えるような状況で普通にスーパーにだーっと置いてあるじゃん。 だから、家具を買う時に椅子が絶対にいるよねっていうのと同じでそこに絶対にアートがいるっていう感覚でアートを掛けるけど、日本人にその感覚はないよね。

田辺まさにその感覚が日本になくなった気がするんだけど、日本って床の間文化だったから日本家屋から床の間がなくなったらアートの居場所もなくなったのかな。

フミヤそう、日本ってアート飾るのは床の間と玄関しかなかったからね。 でも、最近玄関とか床の間とかなくなって来てる。 あとは、トイレになんか詩を書いたのが飾ってあるとか。笑

田辺まあ、トイレはまだかろうじて飾り場としてあるとしても玄関も立派な玄関はなくなったし。

フミヤないね、あと、物が増え過ぎてるんじゃないの?一般的にいうと。 なんか、百均的なものがたまっていくんだよ、百均のかごの中にまた百均がたまって行くみたいな。。。 そういうのが雑然とあるからそこに飾れるものはもうカレンダーくらいになっちゃう。 でも、インテリアショップとか行くと昔に比べたらアートとか色々とデザインされたものは生活に入って来てる。 だからそういう意識は上がって来てると思うな。 ただ、海外だと小さいのだったら1000円とかくらいでアート売ってるからね。 海外だと壁にはアートが必ずと言っていいくらいあるからね。

田辺たとえ安っぽいモーテルでもある。

フミヤあるある!何も飾ってない壁ってないもんね。笑

「フミヤさんにとってのアートとは?」(第1回)はこちら

ピカソの本

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DAVID DOUGLAS DUNCANがピカソのプライベートな生活をドキュメントとした写真集「THE PRIVATE WORLD OF PABLO PICASSO 」はビレッジにある古本屋のショーウィンドーに飾られていた。そこに開かれてあったのは、ピカソの鋭い眼のアップが見開きで迫ってくるページ。強烈なイメージは、ピカソ好きな僕を買う気にさせるには十分過ぎるインパクトだった。ピカソといえば女性遍歴の凄まじさで知られる。恋多き男、その情熱をクリエーションの原動力にした愛のアーティスト。しかし、身勝手で独占欲の強いその愛情は常に激しく過激だったために回りを傷つけることもおかまい無しだった。オルガ・コクローヴァ、フェルナンド・オリヴィエ、エヴァ・グレル、マリー・テレーズ、ドラ・マール、フランソワ・ジロー、ジャクリーヌ・ロック。。。(このうち、マリー・テレーズとジャクリーヌ・ロックは自殺している)とにかく、生涯を通して恋多き男だった。ピカソの写真を撮った写真家には他にもブラッサイなどもいて、その写真集も持っているが、僕は、最後の妻ジャクリーヌ・ロックと暮らしていた晩年のピカソを撮ったこのデヴィッド・ダグラス・ダンカンの写真集がとても好きだ。まさに生活の全てがアートというにふさわしいアートだらけの彼のアトリエ住居での生活風景。子供達とおどけて遊ぶ姿やさりげなく日々の制作をする姿などからピカソという人間の素顔が垣間みられる。ピカソのこととなると言いたいことは沢山あるのだが、女性遍歴に関係した話をするなら、僕が一番好きなピカソが女性を描いた絵は彼がフランソワ・ジローと一緒だった頃の絵だ。フランソワ・ジローをまるで太陽のように崇めた絵は彼のフランソワ・ジローへの愛情の深さを表しているかのようである。その後、ピカソに愛想を尽かして2人の子供を連れて他の男と結婚し、唯一ピカソをふった女と言われるフランソワ・ジローだが、愛したが故に異常なまでの独占欲で支配しようとしたピカソにとってはさぞショックな出来事だったに違いない。
ピカソの女性遍歴は賛否両論だとしても、生涯をアートに捧げ、最後まで作り続けたピカソの芸術家としての功績には誰も文句は言えまい。その女性遍歴、アートの圧倒的な量、後世に残した影響力において誰もかなわない絶対的な天才だった。

中園孔二展

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中園孔二展 2013年8月3日~8月31日 TOMIO KOYAMA GALLERY/清澄

 

中園孔二展はペインティングとインスタレーションに音響も加わった意欲的な展示だった。
特にペインティングが魅力的でいくつかの表現を持っているが、作家の年齢を聞いて驚いた。
若干23歳、その若さにしてここまでユニークで自由、豊かな表現力とは実に面白い作家が現れた。
色彩感覚や表現力は教えられて良くなるものもあればいわゆる天性のものもある。
中園孔二の豊かな色彩感覚と独特な表現力はまさに天性の才能であると思う。
教えられるものではない天性の才能が花開くのには時間はかからない。
だからこそ彼は23歳という若年であるが既に平然と彼独自の域に至っているようだ。
しかし、辛口で見たら若いが故に表現がまとまっていない部分もあるかも知れない。
でも、考えてみたら23歳でここまでまとまっているなんて凄いなあとも思わせる。
僕は特に彼のペインティングのクレヨンを使った作品とシンプルな形の油彩が好きだ。
そして、そこに描かれた不思議なキャラクターのような人物達も実に面白い。
中にはピカソを彷彿とさせるような作品まであって、とにかくセンスがめちゃくちゃいいと思う。
小山登美夫氏が公募展で見出し、自ら小山登美夫賞を与えてデビューさせたと聞く。
村上隆や奈良美智を見出した小山さんが今後彼をどういった作家へ育つ方向に導くのか。
「ばらばらに見えますが出来上がった作品は全て自分が見たかった景色」という作家のコメントにも天才肌を感じる。
とにかく、今回はペインティング好きの僕のツボにハマったのでベタ褒めで終始させていただきます!

フミヤさんにとってのアートとは?(第1回)

アートとは?なんでしょうか?

田辺まず、大きな話ですけど、フミヤにとってアートとはなんですか?

フミヤう~ん、創造性を湧かすよね、何だろうね。。。

田辺インスピレーション?

フミヤうん、なんか、例えば何だろうな。 結局こう、創造だから。 昔は写真の代わりでもあったね。

田辺肖像画とか?

フミヤそう、教会の絵とか肖像画とか。 たぶん、現代アートが生まれてからアートの世界は無限になったんじゃない。 だからなんだろう、インスタレーションアートとか見ると、 とても持って帰れるものじゃないじゃん、あれは。笑

田辺規模が大きいとか?

フミヤそう、巨大なのもあるし、なんていうの?やってること自体みたいなこともあるし。。。

田辺では、アートとはインスピレーションの源?

フミヤそうだね、あと、それが科学によって発展したりとか、そういうのもあるじゃない。 例えば、意外と今のコンピューターだって、 何らかの形でアートが関わってああいうデザインになった訳だしさ。

田辺コンピューターでもよく作品作るけど、手でも描くよね。

フミヤうん、手でも描くね。

田辺ツールだよね、コンピューターもフミヤにとっては。

フミヤうん、ツールだよね。 でも、最初の頃はなかなか面白かったんだけど、 まあ、当時はまだ誰もやってなかったから。

田辺今から、、20年くらい前?

フミヤもう今となっては、ピクサーとか見るとCGというにはおこがましいにも程があるというか。 だから、当時はウォーホールにとってのシルクスクリーンの代わりに使っていたような感じかな。 でも、今は多いだろうね、コンピューターで描く人って。 デザインよりだよね、コンピューターを使うと。

田辺誰でも出来ちゃう?

フミヤそう、だからやっぱり、これからのアーティストは手描きの技術じゃない?

田辺原点に戻るっていう。

フミヤそうだね。

アートをコレクションした?!と思ったのは?

田辺一番最初に、フミヤの中で「あ、俺アートを蒐集した」って思った作品は何?

フミヤそれは、今日紹介するウォーホールかな。 高いの買っちゃったみたいな。 でも、高いっていったってドローイングとかじゃない訳だから。

Andy Warhol「TRUE LOVE」

田辺それは、日本で買ったの?

フミヤ日本で。なんか、向こうから知り合いのつてで「買いませんか?」みたいな。

田辺あー、タイトルがタイトルだけに。

フミヤそう!タイトルがタイトルだけに!TRUE LOVEって書いてあるから。笑 これフミヤさん買うんじゃないかなと思ったんだと思う。

田辺それは断れないよね。

フミヤということで、でも、その時は別に盛り上がらなかったんだ、 自分としては、「あーそーですか」みたいな。 でも、じゃあなんとなく見に行こうかって話になった。休みの日に。 値段が値段だったからさ、今だったらいくらするのか分からないけど。 「これ買うしかないんじゃないの?」ってまわりに言われて 「そうだな」って言って買ったんだよね。

田辺その本には載っているの?

フミヤいや、載ってはいないんだけど間違いなくこのシリーズの中の一つだね。 このキャンディーボックスってやつ。

田辺なるほど、じゃあ83年だからウォーホールが作家として一番乗っていた頃の作品だね。 珍しいよね。

フミヤ珍しいと思う。 この本には全作品載ってるとかいうけど載ってないんだよね。

田辺いや、そんなことはないよ。全作品なんて。

フミヤそうだよね、全作品なんて、そんなことは絶対にないよね。

田辺いっぱいシリーズを作っているはずだし。

フミヤしかも紙じゃなくてキャンバスだったから。 あんまりないなと思って。

田辺何年前に買ったの?

フミヤいつだったかな?

田辺新居になってから?

フミヤいや、もっと前だね。 たぶんもう20年近いね。

田辺その後、ピカソとかも持ってるし、名もない作家のも持ってるじゃない。 フミヤのアートコレクションのポリシーって?

フミヤポリシーはまずね、大きいのは買わない。笑

田辺家具で懲りた?

フミヤそう!家具で懲りた。 アートも最初は大きめの買ったんだよ、やっぱり迫力あるから。 でも、飾るところないし、たまるし。 なるべくなら日本家屋にあったものを買うからそんなに大きいのは買わない。

今気になる!作家や作品は?

田辺今でも買おうって気でどこかに見に行ったりするの?

フミヤうん、するね。ギャラリーとか。 でも、本当は好きな作家を調べてそれを追いかけて買った方が良いんだろうけど。

田辺今気になってる作家とか、買いたいと思う作家っている?

フミヤ買いたいのは、誰のが欲しいかな。 でも買うとしたら平面作品かな、立体はないね。 しかも、やっぱり版画とかしか買えないね。

田辺海外作家のエディション作品とか。

フミヤそう。たまにまだ若い作家のペインティングとかあったりして、 でも200万とかするからちょっと勇気がないと買えない。 版画とかだったら100万前後くらいだったらまだ買えるって感じに思うけど。

田辺じゃあ金額とも相談しつつみたいな。

フミヤそう、別にその、資産にしようとか思ってないから。 たぶん売っても二束三文だと思うんだよ、絵とかって、売る時は。

田辺つまり投資じゃなくて好きなものを買うって感じ。

フミヤそうそう。それに値段の上がり幅で行くと新人のものくらいじゃない、凄い上がるの。 昔の、この時代のウォーホールとかはもう値段が決まっててほぼ変動はないじゃん。 だから、バンクシーみたいに急に出て来て知名度上がって既にもう数千万円みたいなのはなかなかない。

田辺結構無名の人でも気に入ったら買ったりする?

フミヤ無名も買ったりする。 まあ、好きなものを集めてるって感じかな。

「フミヤさんにとってのアートとは?」(第2回)はこちら!

BOB ROSS’ NEW JOY OF PAINTING

 

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BOB ROSSというアーティストを知っている人はいるだろうか?アフロヘアのおじさん。アメリカの典型的かつ、量産型的な油絵技法の伝道師。80年代にアメリカに住んでいた頃に彼の絵画教室のテレビ番組をたまに見かけてはその独特な存在感と絵の世界に不思議に魅了された。本人はヒッピーカルチャーの方なのか、いつもハッピーでゆったりとした語り口。絵を描き進めながら森の絵を描いている時には「小鳥のさえずりやリス達のじゃれる姿を想像してごらん」みたいなコメントを差し挟む。絵の世界はハッピーな世界という一環した姿勢が感じられた。描く油彩は風景や海の絵などだが、パレットナイフを巧みに使って描く技法はある意味完成されていて迷いがない。アメリカのスーパーマーケットや安いモーテルで見かけるような誰が描いたか分からないようなお決まりの絵を見事に描くのだ。ご本人はお亡くなりになったと聞いたが、ある意味、独自の絵の境地を開拓した彼の功績を個人的には凄く認めたいアーティストなのである。そんな彼の絵の技法の解説本を見つけた時には真っ先に買い求めた。その絵のスタイルは誰でも描ける絵なはずなのにきっと彼にしか描けない世界のような気がする。

I HATE EVERYTHING

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原宿のGALLERY TARGETにて開催されたアーティストLYさんによる展覧会、「I HATE EVERYTHING」を見て最初に思ったのは、これは外人アーティストの作品?という疑問だった。NYのストリートから発生したグラフィティーアートの近年の流れの中で登場したバリーマッギーなどのアーティスト達と、どこかで繋がっている感性を感じたのだった。でも、ギャラリーの方に聞いてみると、作家は日本人でしかも女性だと聞いて正直驚いた。それに、ニューヨークに住んでいるとかでもなく日本で暮らしながら制作をしているという。なんか、日本の若者もこういうストリート的なエステティックを我がものにして作品を制作するようになったのだと感心するとともにモノマネではない作品のオリジナリティー溢れる世界を素直に楽しめた。なんでも、後で作家本人から聞いたところによると、これらの作品は彼女が絵にスランプを感じていた時に大好きなスケボーで怪我をしてそれすら出来なくなり最悪に落ち込んだ時に生まれたんだと言う。展覧会のタイトル「I HHATE EVERYTHING」「全て嫌になった」はその時の彼女の気分だったんだとか。これは、日本人なのに海外のグラフィックカルチャーアートの質感を自然に持ち合わせたユニークな作家の出現だと思う。今後の活動にも注目したい作家だ。

ARTRANDOMとは

アートが好きで自分でも作品を作ったりもするが、アートをコレクションしたり、アート関連の本を買うのも大好きである。出来れば世界中のアートフェアに行きたいが、なかなか叶わないので年末のマイアミ以外は東京のアートシーンを追いかけている。そんなアート好きの気ままな毎日の断片や、アートに関して言いたいことをアトランダムにお話しするというのがこのブログの趣向です。知人とのアートを介した対談、お気に入りのアート本のご紹介、東京のギャラリーでの展覧会リポートなど、気の向くままにお届けします!

岡本太郎版画展

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東京の様々なアートを見に行き、その感想をリポートするこのコラム、まず紹介するのは渋谷ヒカリエ8階にある小山登美夫ギャラリーで開催された岡本太郎の版画展。

岡本太郎というと、日本の画壇には属さず、独自のスタイルとスタンスを貫いた孤高の芸術家って印象が強い。

または、テレビコマーシャルなんかにも出たりした世間的にも有名な芸術家かな。

彼の作品は絵画から彫刻、パブリックアート、プロダクトデザイン、文筆業、写真まで実に幅広い。

渋谷の駅構内にある巨大な作品「明日の神話」は見たことある人も多いはずだ。

今年が生誕100年ということで色々と注目の作家でもあるが、今の若者は岡本太郎を知っているのだろうか?

フランスで絵の勉強をしていた頃にはシュールレアリスム運動の騎手アンドレ・ブルトンにその才能を認められた凄い芸術家だ。

しかし、日本人が知っている彼はむしろ「芸術は爆発だ!」や「座れない椅子があったって良いじゃないか」といった今なら流行語大賞になりそうな名言を残したちょっと変わったおじさまという感じでだろうか。(大阪万博の太陽の塔も有名ですね。)

ところで、彼の作品には「眼」がよく出て来るのだが「眼は存在が宇宙と合体する穴」なのだそうです。

そして、優れた芸術の未来はシネマやラジオ、テレビジョンにあるといち早く見抜いた芸術家でもあった。

芸術は大衆のものだという彼の思想を表すエディション作品(量産品)をその時代を感じさせるアンティークな家具とともに展示したこの展覧会、岡本太郎ワールドの一旦を肌で感じられる面白い趣向の空間だった。

Irving Penn 「FLOWERS」

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NYに住んでいた頃からART関連の本や展覧会のカタログなどが好きで買っているうちにいつのまにか色々な本が集まってしまった。ここではそんな思い出の本とそれにまつわる思い出話をご紹介します。

 

まず最初に紹介するのは、僕が記憶している中で最も昔に買った写真集、Irving Pennの「FLOWERS」。アーヴィング・ペンといえば写真好きでなくても名前を聞いたことのある人も多いはず。アメリカが豊かさを謳歌していた時代、ヴォーグ誌に沢山の素敵な写真を提供した写真家です。そのペンが1967年から1973年までヴォーグ誌のクリスマス号に提供したのがこれらの花の写真です。そして、それを本にまとめたのがこの「FLOWERS」。僕の持っているこの本、価格は35ドルとなってますが、1980年出版のFirst Editionなので、もしかして今はもっと値打ちがあるのかもしれない。と、思ったのでアマゾンを見てみたら17000円から23000円で売られていた。僕のはカバーとか汚れているので売り物にはならないし売る気もないけど、本も値打ちが上がるものなんですね。当時、本屋さんの一番入り口に近いカウンターに並べられていたこの本のカバー写真の花の美しさと、花をこんなにお洒落に撮った写真があるんだという驚きで即買いしたのを覚えてます。それにしても、アーヴィング・ペンって名前もカッコいい。ピカソもそうだけど、巨匠となる人はどうしてカッコいい名前なのか、または、巨匠になったからかっこよく聞こえるのか。。。

筆者プロフィール

田辺良太

田辺良太

文化学院油彩科在籍中の17歳で渡米。

サンフランシスコの高校を経てアカデミーオブアーツにてアートを専行。
20歳の時に念願のニューヨークに移住し、パーソンズスクールオブアーツでイラストレーションを学ぶ。
23歳の時にマガジンハウスの雑誌、ポパイ、ブルータスの仕事を始め、以後、ニューヨーク特派員となる。
80年代90年代のニューヨークで雑誌の特派員として様々な情報を日本へ向けて発信、特にアートの情報を得意とする。

2000年を目前に日本に帰国し、ウェブサイトの仕事を始める他、化粧品やファッション、インテリアの仕事に携わる。

現在は、東京に暮らしウェッブ関連の他にコンサルタント業など幅広い分野で仕事をする他、展覧会の企画やアートディレクションなどを行う。

2013年にはリニューアルした新宿伊勢丹に誕生したパークと呼ばれる売り場にアートを展示するというアートディレクションを担当している。

毎年年末にニューヨークとマイアミのアートバーゼルに遊びに行くのがここ数年恒例の楽しみとなっている。